hamaji junichi

composer saxophonist

今頃alphaのn-3bなど買う。欲しいとなったら気になって仕様がないのである。カラーはオリーブドラヴ。暑くて着れないだろうに。来年、あるいは今年の末に着るつもりであるのだろうが、果たしてその時そういう気分にあるのか先のことなど全くわからない。ウッドランドカモのm-65も買う。阿呆である。

 

最近ことに刺さったのはルトスワフスキの弦四で、今まで何故知らなかったか、その怠惰に呆れる。斯様に無知であることは恥でもあるが、さりとてそれは避けようがない。もともと知は無知の深淵に飲まれているもので、その底なしの闇に光を差すのは時間以外ないわけで、その時間は有限でありそれを味方につけようにも運の要素が強く作用するものだからその運の導線上に自分がいるのかどうかもわからぬ。出来ることといえば安吾の言う「耳を澄ませて暮らす」以外にないが、その聴覚の視座を形成するのも時間であり、あながち長く生きる、歳を食うことも悪いものではない。自分が爺であることをことさら恥じる人もいるが、若さが輝いて見えるのはその肌の痺れるような美しさだけで、そういうものに強く惹かれるのはわかるが、クソ爺もそんなに悪いものではない。何せ長い、長い時間を通過しなければ得られないものをもうすでに持っているのだから。あとは気付くだけだ。

 

映画「ある殺し屋 キラーフランク」だったか、、、を見た。地味だけど良い映画だった。ハードボイルドの主人公は映画「ドライブ」でもそうだったけれど、ああいうのが私はひどく刺さる。

 

 

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恐ろしいことに今日が最終日(正確には昨日)だとは露とも思っていなかった。朝福島さんが変容を送ってくれていたが確認は月の変わった1時40分ぐらいになってしまった。仮に何か書き足されていたら、、、と思うとぞっとする。先の自分の組織の提示がfineを内包したものだったので時間的にあそこで終わるとほぼほぼ思っていたのも災いした。服のこと書いてる場合ではなかったのである。確認するとそこでfineになっていて安堵する。斯様な油断は今までしたことがなく、自分でも呆けるにも程があると10年目で初めての悔恨に震えておる次第でございやす。

 

 

 

《変容の対象》2019年4月第6−7小節目を福島諭さんに送る。

 

日常では考えどころの事案も多いが、何となく適当に留保しながらすぎてゆく。よろしくないのはわかっているが、テキパキ整理することが可能なほど自由が利くわけでもない。時間は有限であるし、土地に縛られる、または家に縛られる、あるいは状況に縛られているわけで、その障壁を破るだけの材料が手元にないとなれば留保するより他ないことの方が多いのだろう。幸福とは言い難いが、さりとて絶望を常に感じるでもない。輪郭のはっきりした日常というものがあるのか、またはないのか。

 

とにかく変容は今月も佳境である。

 

《変容の対象》2019年4月第4−5小節目を福島諭さんに送る。

 

M−65カーゴパンツ2本購入。黒、ウッドランドカモ。春である。桜はもうすでに散り始めている。

桜の森の満開の下。桜は古来より骸をその根に抱いて夜怪しく光ると言う。

 

怪異譚を読む。

 

 

《変容の対象》2018年の総括文を書き終えた。漸くである。本来なら2月中には書き終えていたはずで、毎年そんな感じだったはずだ。

あとは推敲を少しして福島さんに送る。

 

CDを数枚購入。データで買うことは未だしたくないのもあるし、CDでしか買えないものも多い。ornette colemanのnaked lunchのデジタルリマスター版、jazz3枚。あとはペンデレツキなどの弦楽四重奏

 

弦四といえばバルトーク。あるいはベートーヴェンの大フーガにとどめを刺すが、リゲティの1番も常に心に在る。

 

あとは漫画を2種類全巻揃え、昔買ってもうボロボロになったdior hommeのラスターコーティングデニムを引っ張り出してきて、さらに履き潰そうかと思ったり、春であるからbudシャツなど購入し、それを着て演奏することを夢想し(実際演奏で着るだろう)、そうしてまた毎日同じことの繰り返し。たまったものじゃないが、夕刻からの練習からmacを見ながら気を失い、一度起き、先ほど書いた総括文や、変容を夜中の数時間対峙する。謂わば二層の生活の時間がほぼ変わりなく在って、それが1日のほぼすべてである。

昨日、《変容の対象》2019年4月第2−3小節目を福島諭さんに送る。

 

福島さんの組織が良い。

 

昨日は車がなかったから自転車で街を少しばかり走った。昔の母校あたりまで行ってみたが高校生の時に毎朝自転車で通った距離が、その距離感が蘇ってきて「さして距離もないのだな、、、」と思った。車で移動する大人になってからそう言う距離感はどこかにおき忘れたみたいに、自分の感覚から消えてしまっていることに気付く。街は車で走るよりずっと人の暮らしが見える。こんな店もあったのかと、初めて意識されることが新鮮でもあり、同時にどれだけ地方の街が疲弊しているかもわかる。途中で雨が降る。春だというのに冷たい雨で帰途は凍えるようであった。