hamaji junichi

composer saxophonist

《変容の対象》2020年2月第9−10小節目を福島諭さんに送る。

 

もう少し書くこともできたが週末の名古屋もあり、互いにその地に赴くからこのままで、、、と送る。

 

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今日の昼間、ふと僕らからの世代の現代音楽の作曲家の中にはエレキギターに最初から馴染んでいたり、手にしていたり、あるいは日常の一部であったり、憧れを幼少期に持っていたり、それらの経験した音楽的衝動の最初期、その萌芽期にあったその楽器を現代曲に、、、というごく自然な流れ、、、があるように思うけれど、つと聞かない。いや、あるはずだ。恐ろしく権威的な世界ではあれ、そう言った権威に跪くと言った行為は基本的にあるはずはない。それは良心と単純に、素朴に、簡潔に過ぎるような言葉ではあるけれど、その衝動、選択は良心以外の何物でもなく、そこに従順でなければ何を言っても、、、と。 果たして、その楽譜にはギターは例えばギブソンの〜〜を使い、ピックアップはダンカン〜〜、あるいはフェンダーストラト、ピックアップはレースセンサーで、、、などの指示が当然のように書かれている、、、

 

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今まさに、ここ数年で作曲されている現代曲を、それを盛んに取り上げている素晴らしい演奏家を通して知ることができる。それらを日常的に聴いて、、、

 

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ウィリアム・ギブスンの「カウント・ゼロ」を読み始める。何十年ぶりかで開く。「パターン・リコグニション」は終盤である。両方の作品に出てくるジョゼフ・コーネル。あの魅力的な匣の世界の創造主。ああいう生き方(実際の生活の方だ)も、、、と信号待ちの交差点で考えたりもした。

《変容の対象》2020年2月第8−9小節目を福島諭さんから受け取る。

 

割と早いペースでのやり取りが続いていた。5日ほど開く。

 

その間に、昨日福島さんはコンピュータとクラリネット室内楽作品patrinia yellow(2013)の再演だったと知る。奏者は鈴木生子さん。

 

鈴木さんとも随分会っていないなぁ。

 

私は変わらずウィリアム・ギブスンのパターン・レコグニションを読み、バズリクソンズやアルファのジャケットをネットで探し、数日前からエリック・ドルフィーの幻影に取り憑かれ超弩級の名曲「iron man」の昔採譜したスコアを眺める日々。

 

変容を少し書き進める。

 

週末は福島さんと会うから再演の話も聞けるだろう。

《変容の対象》2020年2月第3−4小節目を福島諭さんに送る。

 

ウィリアム・ギブスンの「パターン・レコグニション」も中盤に差し掛かり、主人公ケイスが東京に降り立つ。例によってバズリクソンズのma-1が出てきて、新しい一着を東京で手に入れるという記述だ。

 

今日はエレキ・ギターのジャック及びアンプのジャックの接点復活剤を施し、エピフォンのSGの弦を張り替える。ピックアップは純正ではお話にならないのでセイモア・ダンカンのその名も「Jazz」(だったと思う)を2発載せている。接点復活剤はクレ556を使った。十分間に合う感じ。専用の復活剤もあるらしいけれど、これで十分だと思う。ジャズマスターもポッドのガリがきつくなってきているので次の弦の交換時に接点復活剤をしなくてはならない。ジャズマスターはピックアップをEMGに載せ替えていて、オリジナルのピックアップ及びピックガードはそのカスタム時に手違いでもらわずじまい。自分が二十歳そこらの時のことなのでそれが今でもたまに思い出しては惜しいことをしたと後悔している。それがあれば載せ替えて、今ならジャズマスター用の他のピックアップに乗せ変えることもできたのにと。

 

と書いていたら福島さんから4−5小節目が届いていた。

《変容の対象》2020年2月第1−2小節目を福島諭さんに送る。

 

今月はサーキュラー・ブリージング、循環呼吸奏法を採用することにした。実際の発表(自身の演奏の場合)ではこの奏法を随分使うけれど、変容では意外に採用していない。133作品中ほんの数曲だ。

 

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テッド・チャンの新作の小説が出ている。折を見て購入しなければならない。

 

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ペンデレツキのCDを7枚買い、他にもいろいろCDを買う。普段なら絶対手をつけない類のCDも気の迷いか購入。昔大量に処分したCDの中でまた手に取らなければならないCDも再購入することも多く、一体何をしたいのかわからないが「気の迷い」はある種の周期を持ってやってくるようだ。

 

福島さん、飛谷さんとのギタープロジェクトの[gp]のおかけで、ギター関連のCDも何かと気になり、ストラトが欲しいとなると、フェンダーではなくフェルナンデスの中古市場を見てみたりする。何より、べらぼうな安値が魅力であり、当然買っても手を入れるから、そういった楽器を候補に入れる。フェンダージャズマスターだけで良いとして、シングルコイルのものも一つあっても良いと思い物色する。まぁ買うとなるとまた躊躇するのは目に見えているし、これも気の迷いである可能性が高い。

 

《変容の対象》2020年1月も月末のその日にfineを迎えた。思っていたより息の長い変容にしては長尺の作品になって交互に編んで行くように作曲する作品だから長尺にはなり難いけれど、先月は必然的に中盤の日程あたりから互いに困難ではあるけれど書き続け、やりとりしていたから終わってみれば、、、ということになった。厳しい期限の制約がなければまだ続くことは可能な作品も多く、これもその一つだと思うけれど、そういう留保的な含みの存在は意識にはのぼるけれど、かといって「それ」が出現しうるべきものということではない。未出の存在の気配は、それはとても魅力的なものであるけれど、作品の成立後には当然のことながら干渉しないし、消えてしまうものだ。

 

昨年の12作品の総括文を書かなければならないけれど、まだ一切手をつけれていない。今日は今日で津上研太さんのあのソプラノ・サックスが聴きたくてdate course pentagon royal gardenを聴いていた。活動休止前に出されたカフカを冠した作品は特別で、休止のアナウンスがあったライヴ、、、大阪のライヴにも当時の細君と行って、ライヴ後津上さんと3人で飲みに行ったことも記憶に鮮明に残っている。活動休止を経てデートコースはdcprgという表記に変わり、今はまた別の表記に変わっているらしい。

 

作家の伊藤計劃のブログでデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンを聴きに行くとか聴いていたとかいう記述があって、あの早逝の作家が津上さんのサックスを聴いていたということにその作品を愛して読み耽ったものとしては、いささかロマンチックな感傷をその時抱いたけれど伊藤計劃はバンドの休止も知らないし、以降の変遷も知らないのだ。作品「ハーモニー」の冒頭を書店で読んで即買いし、少ない作品(当時はまだ存命だった)は今も大切に持っている。

 

ウィリアム・ギブスンを読み、伊藤計劃のことがこうしてイメージされるということはつまり、また何周かまわってサイバーパンクに惹かれている時期なのだろう。

 

 

《変容の対象》2020年1月第10−11小節目を福島諭さんに送る。

 

変容でこう言った難しい局面(今回はとても難しかった)では数日から長くて10日ほど着想の手がかりを待つ、、、、(常に四六時中そのことを頭の片隅に置いてその思索を持続させる)のがいつもの手だけれど、月末のこの時期にその手は使えない。昨日の夜も駄目で、今日も譜面を見ながらいつの間にか爆睡(最近夜のはじめに座ったまま必ず気を失ったような眠り方をする。こう言う生き方、生活の有り様は早く変えなければならない。今の最も切実な課題である)し、起きて深夜また譜面に向かった。漸く少し糸口が掴め、書き進めた。

 

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ウィリアム・ギブスンの「パターン・レコグニション」を読み始めた。主人公ケイス(女性)のお気に入りとしてバズリクソンズのma-1が確かに登場していた。日本の生産品として尊敬と敬意の念を持って書かれている。しかも数行だけの記述ではなく、結構な行を割かれて度々登場するので、それは生産元の東洋エンタープライズもコラボレーションをするに足るだろうと。東洋エンタープライズという会社名もギブスンの小説に出てきそうな名前だ。その主人公ケイスのユニークな行動に、例えばジーンスのリベット、ボタンのメーカー刻印を丁寧に、時には業者を使って削って消すという記述があり、ブランドの出自を消すという行為に異常な神経を使うという、、、主人公の性向を鮮やかに浮かばせるシーンがある。変わり者だが美人でma-1ジャケットがよく似合いそうな女性の像が浮かぶ。

 

ところで文学読みはウィリアム・ギブスンは「ギブソン」ではなく「ギブスン」という読みを当然のようにするけれど、バズリクソンズのユーザーは「ギブソン」と表記することが多い。ギブスンなんだけどなぁ、、、といちいちそれらを目にすると思ってしまう。

《変容の対象》2020年1月第8−9小節目を福島諭さんに送る。

 

バズリクソンのウィリアム・ギブスンシリーズの紹介文を見ていたら「パターン・レコグニション」の作中に出てくるMA-1の作者のスケッチからコラボレーションが実現したとあった。ギブスンといえば言うまでもなくサイバーパンクの最も重要な作家であり、その世界観の提示に奮えたし、今はそれがいささか色褪せた(ヴァーチャルライトあたりから少し減退した感じを持ってしまった)ようにも思うけれど二十歳そこらの若い自分には以降のJ.G.バラードを知るきっかけにもなった今でも重要な作家であり、名作ニューロマンサーモナリザ・オーバードライブなどのほぼ全作品は今も大切に所有している。自身の作曲作品、サクソフォンとコンピュータの室内楽シリーズの「分断するオフィーリアの肖像。その死に顔。」を書いた動機の一つに短編「フォログラム薔薇のかけら」があり、今でもたまに読んでいる。昨年からn-3bやm-65あたりのジャケットを買いまくっているから、その思考の導線上にバズリクソンズが引っかかったわけだが、そのウィリアム・ギブスン・シリーズは以前から知っていたもののalphaのn-3bやm-65が気分であったし、今もそうだけれどもその紹介文には刺さるものがあって、「確かパターン・レコグニションは買っていたけど読んだかなぁ、、、」と探して手に取ったら読んでなかった。新品のまま放置。いったい何年放置しているんだという話だが、そういう本は他にも随分あるはずでとりあえず買っておくということを10年前あたりまでは当然のことのようにやっていた。で、その新品のものを今から読もうとその時思った。という話。

 

バズリクソンズのそのシリーズのジャケットも当然クールです。中でもecwcsパーカーダウンとn-3b。