hamaji junichi

composer saxophonist

「変容の対象」2013・7月6−7小節目

「変容の対象」2013・7月6−7小節目を福島諭さんから受け取る。
http://mimiz.org/index.php?ID=990


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人の期待に応えられないという、、、慚愧に耐えぬとはこのことであろう。

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昨日、今日、灼熱の太陽の下で焼け爛れる。手の甲から上の数十センチは赤く爛れ、日焼けなどという生易しいものではない。一種の火傷である。皮膚が一部それによって裂けている。朝から午前0時まで延々外に居る。午前中からの照りつける太陽は容赦なく皮膚を焦がし、夕刻には酷い痛みをともなって顔面と、両腕を赤く覆った。神を祀ることの意味など知らなくても、そこに粛々と行われている儀式は一人がかるがるしく口を挿むことを決して赦さない何かがあって、それは古より延々と毎年毎年行われてきた膨大な時間の堆積と流れに乗り、今日も執り行われて当然の理となっている。さて、出かける前にブーレーズ指揮のシェーンベルクのCDをトレイから取り出し、トリオ・ベルガルモのラフマニノフのピアノトリオを爆音でかけ、鎮魂とエレガント炸裂の音韻、音響に溺れながら、ロシアンロマネスク、、、なんてことをふと思い、まるで今日の日のこれからの行いとは違う世界を二重にレイヤーする。これはこれで興味深い印象。私の皮膚は白い。南国生まれのわりに。冬などは顔面蒼白で、具合悪いのですか?と本気で訊ねられる。ところで新潟の福島諭さんや石井朋子さんの皮膚の白さはまたこれは雪国の白さで他を圧倒する白さだ。必然太陽には抵抗がなく、それを忘れていたわけではなかったが舐めていた。太陽の威力を。恋する女子のように日焼け止めを塗りたくらないとこうなることはわかっていたはずであるが、ままよ、ちぇすと!灼熱の街に出かけ、ランボーのように光り輝く忍耐!といきりこんで返り討ち。全2日の結果がこれである。映画「セブン」のジョンドゥそっくりの坊主頭はメッシュキャップによりその厄災を逃れたわけだが顔面も恥ずかしいぐらいの赤色である。腹についた脂肪(生まれてこの方最高のふくれっつら)で座ると腹が邪魔で仕方がないという現象もようやく実感し、やることなすことサクソフォン奏者ではない。作曲において重音と、そして倍音を奇麗に吹き分け、その後それらの均衡をくずしながら、そこに表出する不安定な倍音の移ろい、その境界線上に何かを見いだそうとしていたとは思えん。そうして、もっとも残念なのはこの責め苦を終えた明日、何も楽しみが用意されていない残念さは今日幾度もその想念に襲われて我ながら熱中症で死ねば良いのに。と本気で3秒は思った。