hamaji junichi

composer saxophonist

「変容の対象」2012・1月fine

福島諭さんから13小節目を受け取る。

fineとなった。


来月は福島さんの動機から。


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ショパンノクターンを聴いていると、「追憶」という言葉が浮かんできます。ここで言うノクターンは第15番。全曲を今も愛聴していますが、何故今、こうもそれらの作品に惹かれるのか、ちょっとわからないのですが、どちらかと言えば、そう、例えば僕はmorton feldmanのあの美しいピアノ曲の数々を愛していたはずで、、、もちろん今もそうですが、最近ショパンに惹かれる力にはそれとは異質なものを感じます。ノクターンという言葉は宗教的な背景がありますが、それも勿論知ったうえで、個人的な瞑想というものではなく、「追憶」という少し感傷的ともいえる言葉を想起するのは何故なのか。知らず知らずのうちに刷り込まれた何かの為なのか、と、考えたりしますがそれよりもその楽曲のもつ「ある力」の方がもっと強く自身に何かを訴えるようです。例えばその「追憶」は僕が実際に経験したそれ、、、そのものではなく、なんというか、言うなればありもしない美しい思い出のようなイメージをつれてくる。これはいったい、、、とこの曲を聴くと思うのです。そして、テンポが一般に演奏されるより幾分遅く、そしてもっと弱くひそやかに(原曲も充分ひそやかなのですが)演奏されたなら、それはもっと強く音の世界に入り込むことを誘うような気もします。それこそ、morton feldmanのピアノ曲を弾くようにショパンノクターンを弾いたなら、、、作曲家は激怒するに違いないですが、僕がもし誰かに弾いてもらうことができるなら、そうやって弾いてもらうと思います。極めて個人的なお願いとして。現代的な聴取というものを概念として考えるのは自分にはとても重要なことのひとつなのですが、そんなことを今日は書きながら夢想したりしました。