hamaji junichi

composer saxophonist

http://twitter.com/jitsukana

jitsukanaさんのtwitterで、昨日の福島諭さん、能勢山さん、円秀さんのイベントの雰囲気を知る。twitterの最大の長所は即時性であり、見方を変えればその刹那的な「軽さ」故におおいに抵抗感があるが、親しみをもった人のものは愛読するという、、、距離的な障害故、行きたくてもいけない私のようなものにその恩恵を与えてくれるのは事実で、しかしながら実際に会ってその人の面影、しぐさ、人となりを知ってこそ読もうと思えるし、、、つまりその書かれる言葉の背景に必ずその人の誠実性を「こちら」が無意識に、無条件で受け取れるかが問題なのだ。それあってこその「言葉」だと考える。

 昨日のイベント、良かったようで、それが伺い知れて良かったと書くだけのつもりが、、、

(あと、jitsukanaさんは時折生け花の写真をアップされているのですが、その端正な佇まいにやられております。)

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と、書いていると福島諭さんが昨日のことを書いている。言葉に内包された切実な気配。


http://mimiz.org/index.php?ID=834


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高橋悠氏も書かれている。そこに会話がうまれることに意義があるんだな、やっぱり。言葉に「発して」みて初めて認識することもある。内的に思索を反芻してもそれが自身の本当に希求していることであるのか、実はわかっていないこともある。信頼する他者に話してみて初めて自身の希求の度合いを知り、その思索の焦点が合う。そうしてある価値観が血肉となる。

http://twitter.com/slow_glass



高橋悠氏による福島諭さんの写真。この静謐な凄みというか、、、こちらに照射するような気配ははなんなのだろうと。福島さんを結節点とした背景と、前面のコンピュータ。しばし目を奪われる。

http://twitter.com/slow_glass/status/236260646746984449/photo/1

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日課を吹く。どうも駄目である。音符を追っても気付けば上の空に。途中でやめ、先月の「変容の対象」2、3小節目をモチーフにした、、、というかそのまま使ったサクソフォン・ソロ曲の続きを書く。組織は古典的なもの。古い、新しいよりもそこに、音楽に捧げるべき何ものか、、、がそなわっているかだと。