hamaji junichi

composer saxophonist

三島由紀夫著「岬にての物語」を再読。昨日は読むのに骨が折れると書いたけれど、今日はそうでもない。というか、まったく。再読故にクリアに読めたのか。時代的にも太宰以降あたりなので、記憶では太宰の文章を読むのに骨が折れるとは思ったこともないし、昨日の読後感はどうしてなのだろうか、、、とも思った。譜面を読むときでも音符を見る際の視線の上滑りというか音符を見ているようでまったく見ていないそれ(ほとんど絶望的な演奏態度だ)と、文章を読む際の上滑る感じを思い返していたりした。

福島さんが少し触れていたので書くが、昨日fineした《変容の対象》2014・6月は調性は動かない。わりとはじめから意識はしていて、自分の使う音も途中から17音周期でまわっている。調性をはずれる局面に出会うならその周期から外れなくては、、、と思っていたけれど、第1動機の提示から支配する楽想は強くfineまでそれはそれを維持し続けた。単一調性(ほぼ)とは言っても自分のとった方式は音価のヴァリエーションを変え響きの結節点を探るもので、福島さんの提示する「主題」的音韻情報(常に楽想世界を支配している)に則してそのかたちを決定していき、定着させていったし、密やかな変遷の運動を意識してもいた。


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いや、それにしても、こうも面白くないのはいかがなものか、、、と。こうなったらおっさんが今さらfacebooktwitterなんかをやらかして駆使し、所謂コミュニケーションの渦にジャックイン。電脳空間にダイヴし、モナリザ・オーバー・ドライブを幻視しニューロマンサー的マトリクスに実生活の寂寥倦怠を埋めてもらえば幸福絶頂。シナプスがはじけてエンドルフィンが上昇。ホットな夜に聖なるミカエルが眼前に降り立ちなにやら手を差し伸べている。なんてシーンも無くはない。いや、無いよ。








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「変容の対象」の動機を考えるが今日は着想は得られそうにない。

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いよいよ今月。「all you need to kill」そして「ゴジラ」田舎で見れるの?

all~は原作を読んだ。ライトノベルなので軽い読み口でエンディングにトリッキーな仕掛けがあった。映画ではシリアスにそれを体現しているような予告編だ。日本の作家の原作。


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アンナ・カヴァンを読む。