hamaji junichi

composer saxophonist

《変容の対象》2014・12月第2−3−4小節目

《変容の対象》2014・12月第2−3小節目を福島諭さんから受け取る。


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《Death of quotation...one of the art...in the past...》

福島さんに音源を送る。進言に従い、先日岐阜で拝見した前田真二郎さんの映像作品「日々」のなかで一瞬聴かれる過去の自身の作品とほぼ同時期の音源で、「概念」の書き換えを為す作品として整合性が合うという意味に於いて上記の題名を書き添え送った。書き換えといっても、もう当時からそういう「概念」でああいう技法を演奏していたのではあるが、明晰さやクリア度合いはやはり今の方がレベルが違い、また、、、、


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3−4小節目を書き、後に確認すると書いたものが全部消えていることに憤慨し、自分の仕業ではあるが憤懣やるかたなく頭にくるが思い出しまた書く。


暫く置く。


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昔ほどではもう全然ない。そう。昔話。メールを書き、返事をとんとよこさない阿呆を殺意に近い感情で冷たく冴えた意識をもって過ごす。と、いうことはまったくなくなり、今はもう歳をとりすぎてなんも思わなくなった。1ミリも。これほんと。しかしながら軽く見られているという動かし難い事実はそこには当然のごとく、燦然と光り輝いて横たわっておるわけだから、人の意識というのは嘗めたもんじゃないし、嘗められるなんてことはあってはいけない。尊厳というもがあろう。悪気はないというのは誤謬であり動かし難い過誤である。けれど、そもそもまったく強い繋がりのないものにメールっうお気軽なツールなんてもんがあり、人はほんとに信頼しあって密接な関係性を築いている人たちばかりとつきあうわけにはいかないから、こういう心象になる人もやはり多くいるはずであり、一応は笑顔で挨拶はするが、クソ野郎だこいつは。と、同時に思っている瞬間のなんとも複雑な思いをした昔を今遠い目をして思うのだ。

(幸い、自分の近しいひとたちはコール・アンド・レスポンスが際立って素晴らしい。まるでJazzのインプロヴィゼーションみたく。それは。)真っ当な人とはそういうもんです。普通に。



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福島さんに3−4小節目を送った。