hamaji junichi

composer saxophonist

新潟3部作

もう随分日にちが経過してしまったけれど、1月の新潟での発表のことなどを書きました。書き足りないことも多くあるけれど、《変容の対象》2014年の総括文も校了しないといけない時期なのでそろそろ切り上げなくてはいけないと思いここにあげます。誰が興味をもって読んでくれるかわからないけれど、作曲をし、それを演奏するということはそれぞれ別の領域を孕んで、も、いるからその演奏という行為にまつわるナラティブめいたものを書くのもそれはそれでひとつの確認作業とも言えるし、また、福島諭さんの言う「かけがえのない瞬間」を言葉で言い表すことはほとんど絶望的に困難であるけれど、「それが内包するもの」に少なくともここに書かれている演奏家が真摯にその身を捧げている時間があったことははっきり言えるように思います。濱地潤一




新潟3部作

何故新潟3部作なのか、、、は、ポール・オースターにやられていた時期であり、オースターの代表作「ニューヨーク3部作」(特にシティオブグラス「鏡の街」は最高)に自分の意識内部では符号の一致が潜んでいる。単に言葉遊びのレヴェルではあるけれど、そういう遊びなら自分は率先してそれに身を投じるし、遊びといってもそれらの発想の思考の枝はまんざら遊びというだけに留まらない何かを連れてくることもあるのは経験則から知っている。新潟の3つの発表は2015年1月に避け難く決まり、昨年の年末からはそれらに関する準備や他の作品の作業を重ねるだけ重ねて過ごしたわけで、今こうして新潟から帰り、もう2月に入って数日経つのだけれど、ようやく書き留める時間が少しだけできたところだ。


one《越の風》


1月9日。新潟に着く。明日10日は「越の風」という現代音楽の作曲家の発表の場に2012年来から続けてあげている福島諭・濱地潤一作曲作品《変容の対象》の2013年度版抜粋の初演がある。和歌山に比べて新潟の寒さは何か本質的に違ったものを内包している。それにあの空の暗さ、海の暗さ。機内から着陸前に眼下に広がる海のあの暗さには毎回目を奪われる。いつも気を使うサックスの機内への持ち込みも今回はスムーズに行きストレスは感じる事がなかった。もう、見慣れた空港に到着し、リムジンバスに乗り込んだ。新潟に着くと決まって自分が行くのはブックオフ。空港からのリムジンバスが新潟駅南口に着くからその足で発着場近くのそこに行き100円の文庫本小説の棚に直行し何か掘り出し物がないか探すことだ。毎回何冊か本は買える。

福島諭さんにメールを入れて到着を知らせる。ホテルにチェックインし、その後食事がてら駅周辺を歩く。南口周辺はまだあまり知らないから少し散策したいと思い、夜の気配がそろそろ頭上に降りてくる頃、雪がちらちらと降り始める。風も出て来た。南口あたりは万代口とは違い街のブロック、区画がでかい。アメリカもそうだったが歩くと嫌になるあのでかさだ。それで雪と風にやられないうちに(和歌山は年に1度か2度降るぐらいなのだ)ジュンク堂書店に入る。あまりにも欲しい本がありすぎて困る。アメリ現代文学のコーナー、ピンチョン、デリーロなんかが燦然と光り輝いて鎮座しているし、ハヤカワSF文庫のコーナーの充実ぶりには書店員さんの見識が垣間見えるようだ。ハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」を購入する。テッド・チャンの「あなたの人生の物語」は次の機会にした。グレッグ・イーガンの本も同じ理由でやめた。調子にのって本を何冊も買っていたら帰りにその重量は移動の邪魔になる。新潟の人は幸せだなと思う。こんな本屋さんがあなたのそばにあるなんて。

10日。朝ホテルに福島さんに迎えに来てもらう。りゅーとぴあに。万代橋をわたり新潟市の中心部へ向かう道の手前を左折し、河沿いの道を暫く行くと近代的な建物が見えた。その2階のスタジオAが今回の会場だ。ほどなく奏者のお二人に出会う。クラリネットは2011年度版の《変容の対象》でも演奏してもらった広瀬寿美さん。ピアノは今回始めてお会いする若杉百合恵さん。ゲネに入る。福島さんに前もって少し前に為されたリハの音源とその時の演奏の印象を伝えてもらっていたので自分は当日あきらかに気になった点だけを奏者の方々に伝えようと思って聴いた。実際音源の方はその時期の段階としては非常にまとまっていて安心していたからそのゲネの演奏は自分の期待どおり安定した様相をうつしだしていて、まったくなんの注文も思いうかばなかった。福島さんがもう少し試したい様子で「どうしようかな、、、なにかありますか、、、あと5分ぐらい時間ありますが、、、」みたいに言っていたのを制して「もうええんとちゃう?大丈夫ですよ」と言ったほどだった。広瀬さんも若杉さんも少し笑っていたのが聞こえた。スタジオAの外のロビーのデザイナーによるであろうソファーで4人で対座し譜面を前に会話した。福島さんも改めて注文はないようだった。自分は12月の作品の第1小節目の実音でHの連続体の意味を広瀬さん、若杉さんに話した。繰り返し繰り返し出てくるそのH音が時間を分断して冒頭文の「歪みの均衡その表出された部屋。あるいはシーン。」という現象を表しているから律動の範囲ぎりぎりでそのH音の出力後は演奏を止める意識でいて下さい。止めるという意識だけで良いので、、、ということを言ったように思う。アルトサックスのフラジオ音域のHであればそれだけで時間の切断面を表出するような印象を与えるんですが、、、と。この《変容の対象》という作品はサックスとピアノの為に本来は書かれていて、楽器固有の音韻音響情報というものも想定の中に入っている。今回はそのサックスパートをクラリネットでお願いしているからそういった説明も必要だと思った。というか、口についた。書いた時サックスを吹いて書いた変容ではごくたまにしかやらない動機の書き方たったから記憶もいやに鮮明なのだ。思えば、書いたときの印象や着想を直に奏者に伝えることができるということの意味を後に、今こうして考えることは自然のことのように思われるし、奏者の方々もそうであるはずだ。

発表本番。「越の風」では毎回決まって作曲家に演奏の前、あるいは演奏の後に司会をされている作曲家の先生から質問をむけられ、それにこたえる時間がもたれる決まりになっている。聴取者の方々にその作品の簡単な解説を聞いてもらう故であり、また作曲家の紹介も兼ねてである。今回は福島さんの文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞受賞も新潟の新聞で大きく掲載されたこともあって、そういったことも聞かれていた。昨年は《変容の対象》も審査委員会推薦作品を受賞したから場が場であるからそれの事だと思って「何か受賞されたそうで、、、(会場拍手)」そう質問されたとき自分もおもいっきり頭をさげてお辞儀してしまった。気をきかせて(でもないだろうが)福島さんが「昨年は《変容の対象》を、、、今年は個人の作品で、、、云々」と言ってくれたから良かったものの《変容の対象》のときは新聞には載せてくれなかった旨福島さんに聞いていたのを刹那思い出し、、、司会の先生の問いかけを最後まで聞かないうちに先走って頭をさげた「しまった、、、」ときには時既に遅しであり、もう後戻りはできずただ答えている福島さんの横で少し引きつった微笑をするしかなかった。正義と微笑。

初演。
安定した様相を湛えて最後までそれが維持された演奏を聴いた。この日初演にかけられたのは2013年度の作品12作品のうち3月5月6月7月11月12月の6作品。時間の制約で半分しか発表できないのは最近年々楽想が大きくなっているからであり、2011年度版は12作品全曲初演にかけられたことを思うと、その差異が明瞭に浮かび上がってくる。この作品は二人の作曲家が同時にその思索を走らせている作品であり、錯綜する組織を常に内包している。そういったアンサンブルの困難な箇所を滑らかに行き交う奏者の卓越した技術に裏打ちされた丁寧な演奏は、表出する音組織の内在する思想をそこに映してソリッドな軌道を描いていた。作曲家だけが知るその領域は作曲家の耳の解像度のみにおいて認識可能なものであるけれど、そういった領域がそこに確かに存在した演奏だった。お二人に感謝したい。12月の作品のH音の箇所も見事に奏者の手で自分の着想が反映されて表出されていた。あの内省的な時間。広瀬さん、若杉さんの二人は少し提言するだけで瞬時にはっきりレスポンスが見えて返ってくるとは以前行われたリハを終えての福島さんの言だが、優れた演奏家の資質の重要な要素であるのだろう。

会場には映像作家の前田真二郎さんも岐阜から足を運んでくれていた。我々の作品を含めた1部が終わり、休憩時間にりゅーとぴあの正面玄関入り口の外にひっそりと置かれている喫煙スペースに煙草を吸いに行っていると、福島さんが来て「石井さん来てましたよ」と。「まじ!なんで?」「聴いてくれたみたいです」ということもあった。

終演後ロビーでピアニストの石井朋子さん、当日他の作曲家の作品で出演していた《変容の対象》2012年度版ピアニストの品田真彦さんと一緒に話せた。またその後作曲家の鷲尾百合子さんと広瀬さんが自分のそばに来てくれて、鷲尾さん「今日は濱地さんは打ち上げは?」「いや、ちょっと行けないんです」前田さんの方をちら見。「僕のせいにする?」なんていうやりとりもありながら広瀬さん「リハの後、濱地さんに言われて気になったのでサックスのフラジオの音動画で確認したんです」「おお!」となり、鷲尾さんには「以後お見知りおきを」と言ったら「知ってますよ。わたし2012年の時少しお話しました」と言われてしまいひどく動揺。「ああ、あの時の!」と思い出して申し訳ないことをした。鷲尾さんの様子が以前と随分変わった(ように見えた)ので気がつけず。鷲尾さんの2012年の弦楽四重奏曲は瑞々しい音韻音響を湛えた清廉な作品(特に和声の音の選択の美しさ、、、美意識と審美眼とでも言おうか、、、は際立っていた)で強烈に覚えているし、今回の箏と尺八による「雪また雪」もその印象は弦楽四重奏の時と同じ何かを留めていた。今回でもう完全に覚えた。またお会いする機会があれば真っ先にご挨拶しようと心に誓う。

会場を後にし、前田さんと新潟の古町あたりに行く。煙草を吸える喫茶店、所謂純喫茶を探し(こ洒落たカフェは今やもう絶望的に禁煙帝国である故)入る。新潟ジャズストリート(だったか、、、)のフライヤーが置いてあり、お店のおかあさんに前田さんがいろいろ聞いている。福島さんは打ち上げに行った。後で合流するかもしれない。その後そのおかあさんに聞いたお店「一茶」で食事をし明日のspectra feedで演奏するサクソフォン・ソロのことなど前田さんに話す。石井さんからメール。明日の発表に来てくれるそうだ。福島さんも合流し暫し時間を共に。前田さんの最近の思索も聞けた。なごやかななかにもひとつ真摯な時間が流れていたように思う。思想との対峙。


two《spectra feed》

ホテルを出て福島さんと待ち合わせをする。その前にひとまず福島さんは会場となる砂丘館で打ち合わせをし、途中で抜けて自分を新潟駅まで迎えにきてもらうことになっていた。今はPAのセッティングなどが為されているという。初めて訪れる砂丘館はギャラリーで音楽の演奏も度々行われていると聞く。そう言えば「越の風」で演奏されている奏者の方々の発表もネットで見たような気もする。クラシックとギャラリースペースは決して近い存在ではないような気がするけれど、越野さんの画廊full moonもそういえば時々クラシックの演奏家の発表をされているから新潟はやはり少し特別な文化風土をもっているのかもしれない。他とはひとつ上の領域の。

会場に着くとmikkyozの遠藤龍くんが居た。彼は昨日の《変容の対象》の初演にも来てくれていた。今回で3度目の邂逅となる。だからもう、少し気心は知れているように思われた。ついこの前までnoizmで仕事をしていた。noizmは福島さん経由で名前は知っていたけれど昨日のりゅーとぴあでその関連のコーナーが展示されているのを見て思っていた規模よりはるかに大きな公演をする団体だと知った。その展示にはダンサーの方々の写真もあって、凛とした個々人の像は確かに他者を惹き付ける様相をそこに湛えていたから、遠藤くんにどんな人たちなのか聞いてみたりもした。ああいう人たちはそうそうそこらには居ない。

前日の変容の発表などにより当日にまで準備がずれこんでいるものが複数あった。それをゲネまでに福島さん、遠藤君と作業する。遠藤くんは禁煙中らしい。僕はそんな気はさらさらないのでどこで吸って良いのかまず聞いた。簡易吸い殻入れを借りる。mikkyozの山倉くんも会場に入った。寒くなってきていた。砂丘館は初めての人間にはまるで迷路のような構造をしている。細い廊下が縦横に走り、錯綜しているような錯覚を起こす。方角がはっきり掴めない。あまりこういう感覚は経験したことはないなと思った。ゲネを終えひとまず部屋で眠ろうとした。スタッフの内山さんが座布団を布団に見立てて寝ているいささかみすぼらしい自分に彼女のマフラーとニットのセーターをそっとかけてくれた。あまりにその行為が神々しいのでおっちゃん感動したよ。ファンになった。優しさはおそらくこの世で最も神聖な美徳である。近くお慶びだと聞いた。きっと素晴らしい未来が待っている。mimizの飛谷謙介さん、鈴木悦久さんも会場に入った。それぞれゲネを。福島麗秋さんも。外はいつの間にかしんしんと雪が降り積もっていた。



program

17:00 open

17:30 福島麗秋+《branch of A》(2015) 作曲 福島諭

17:50 mimiz+improvisation 《january session 20150111 Nigata》(2015)

休憩

18:30 mikkyoz+mkz008(live ver.)

19:10《分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔》(2013)
作曲 濱地潤一 演奏 濱地潤一 alto saxophone +福島諭 computer

《patrinia yellow》(2013)
作曲 福島諭   演奏 濱地潤一 alto saxophone +福島諭 computer

improvisation《chattanooga》(2015)
    作曲 濱地潤一 演奏 濱地潤一 alto saxophone  


シリアスな演奏会。シリアスミュージックの作品の発表の場としてきちんと成立していた。それは来場された方々も含めそうだったように思う。福島さんの受賞後すぐのイヴェントでもあり注目もされていた。

オフィーリア〜は昨年のsuper deluxeの初演以来の再演となる。休符はこの作品では任意に伸ばす指定をしていて、初演よりはさらにスペースを拡げるように演奏した。この作品は休符が最も大切な要素なのでその扱いは更新されるべきだと思っている。コンピュータ処理音もその休符の存在によって毎回挿入の配置が違うように設計されている。サックスの組織の、あの分断のされかた、音形はそれの為にあると言ってよい。

《patrinia yellow》for alto saxophone and computerは前述の文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞作品の別ver.で、こちらも昨年のsuper deluxe以来の再演となる。後半のコンピュータのポルタメント処理はこちらのver.固有の処理で楽器固有のvoiceの差異(クラとサックス)からその処理を加えたと聞いた。keyもオリジナルとは違う。後半のサックスの発音がトリガーとなって前半部リアルタイムでバッファにためられたものが同時に解放され激しく変化する様相は何時体験してもスリリングで奏者の身体に強烈なfeedbackを起こす。おそらく、聴取されている方々より数段上の。(後にオリジナルの同作品を鈴木生子さんの演奏で聴衆の内のひとりとして聴いたけれどそれは事実であるように感じられた)あの強烈なfeedbackは今までの演奏体験では経験したことのないもので、作品は新たな領域をはっきりと内包している。

improvisation《chattanooga》は本来はオフィーリアの前に演奏する予定でプログラムにもそうあったのだけれど、ゲネで通してみると負荷がかかり過ぎて後の作品に影響が予想されたので福島さんに了解をとって最後に変更してもらった。無伴奏saxophpne solo作品。プロトタイプで完全版はいつか発表できるはずだ。題名は仮題であるが、結構気に入っている。チャタヌーガ(この言葉の発音がもつ、この奇妙な魅力はなんなのだろう)はアメリカの地名であり、作家ブルース・スターリングにチャタヌーガ3部作というものがあってそれからの引用という意味あいもある。作品成立の思想とはそれはなんら関係はないけれど継続する思考体系(〜部作というような)という符号は内包している。(そういえばこの文章も新潟3部作だ)



来場された方々に用意されたCDR付きプログラム(冊子)の存在もシリアスで、文の冒頭のご挨拶から最後のtwo Question(演奏者に対するシンプルクエスチョン)まで今これを書いている最中にも読み返したのだけれど、こういった繊細な心遣いに基づいた精緻な記述とその態度は最も印象に残るものだ。すべて福島さんによる。

会場には石井朋子さん、品田真彦さん、そして昨日の広瀬寿美さん、若杉百合恵さん、《変容の対象》のそれぞれの年度作品初演の演奏家も来てくれていた。自らの意思で来られた意味と、そして、このような作品を演奏する者二人が書いている作品であるというのを実際に眼前でその解像度の高い耳で聴取し経験してもらえたことは今後の《変容の対象》を演奏をする機会に役立ってもらえるように思うし、過去の演奏された作品へのさらなる理解へも繋がる。作品にとってもある結節点である日になったに違いない。福島さんも深い感慨を抱いたようだった。勿論自分も。


余談。どシリアスな発表で唯一シリアスでないことがあった。自分の演奏中の飲み物。あのでかい2リットルペットボトルのことだ。雪で500mlサイズのミネラルウォーターを買いに行けなくて、なんの考えもなしにあれを演奏中飲んでいたけれど、後に前田さんに指摘されてえらい反省したのだった。「濱地さん、あれはないわ〜」


翌日。前田さんは東京に。自分は和歌山に。握手して新潟をそれぞれ後にした。









three《experimental rooms》






日にちは2週間程飛ぶ。

1月23日。新潟に前のり。同じホテル。少し新潟駅あたりをぶらぶらし、夕刻りゅーとぴあへ。中林恭子さんのリサイタルへ。ピアニスト・石井朋子さんが演奏される。前の変容の2013年度版初演後の会話で話したなかでピアニストの品田真彦さんが教えてくれて、石井さんに確認したら自分の発表の前日だったからお伺いしますと伝えてあった。フルートとピアノの演奏会。開演後すぐに演奏されたバッハ・フルートソナタ ハ長調 BWV1033 Andante:Presto冒頭から10秒ー20秒ほどの時間がもっとも自分の内部に触れた。極めて簡潔な和声の提示。フルートの軌道(サイン)。名状し難い時間がそこに留められていた。指が鍵盤にそっと触れる瞬間…映像…音…映像…音。時間が遡行しているような錯覚さえおきて、まるで止まっているようだった。

終演後中林さんと石井さんはサイン会。都合で遅れて会場に着いたけれど満席で入場できないという残念な福島さんと一緒に終わったところを見計らい石井さんのところに行き暫くお話してお暇した。その後福島さんの車で2、3買い物などして解散する。



24日。新潟県政記念館へ。



experimental rooms #17

2015.01.24 SATURDAY


・Julianna Barwick (US)
・青葉市子 (JP)
・福島諭+濱地潤一 (JP)
DJ by
jacob(red race riot!)


一曲目は作品とは呼べない単に「演奏」と呼ぶしかないものを演奏する。我々にとっては初めてする発表形態。記憶をたどっても福島さんとの発表でこういう手法は一度もやったことはないと思う。前述に勿論含みなどなく、そうする予定で話を進めていた「演奏」だった。

その後本筋である2作品を。


《分断する旋律のむこうにうかぶオフィーリアの肖像。その死に顔》
                   濱地潤一作曲



《patrinia yellow》for altosaxophone and computer
                   福島諭作曲


天井の高いリッチな残響を含んだ音響空間はサクソフォンという楽器を演奏するものとして、とても演奏しやすい空間だった。《埋没する3つのbluesに捧げるcondensed music》のスピーカー・デヴァイスをデザイン制作してもらった高橋悠、香苗夫妻の顔も見かけた。(話せず残念だった。香苗さんとは砂丘館で一瞬話せたけど)石井さんは今回も足を運んでくれた。

終演後mikkyozの遠藤龍くん(映像作家であり、フォトグラファー)に写真撮影をお願いした。《変容の対象》の為の写真。県政記念館の楽屋で。

こういうチャレンジングなブッキングを可能にしたのはオーガナイズした星野さんの意図と手腕もあっただろうけれど、新潟の土壌がそれを可能にしたともいえるのではないだろうか。

ひとつ新潟の粋なチケットの売り方を紹介しておく。普通は前売り、当日というものだが、県外からのお客さんには少しチケットを安く設定する。なんとも粋な思考だと感心したのだった。


25日。

福島さん参加の合唱団lalariを聴きに行った。第13回 新潟県 ヴォーカルアンサンブルコンテスト。lalariの合唱は福島さん経由でことある毎に聴かせてもらっていた。今回新潟滞在を1日延ばしたのはこれを聴くためだった。会場はりゅーとぴあ、県政記念館と隣接する新潟市音楽文化会館。着いた時は中学生の部が終わり間際で、会場は満席。表彰の時間らしく一度外に出た。

外で煙草を吹かす。ぞろぞろと引率の先生の後ろを中学生の一団が会場を後にしてゆくのが見える。一般の部の時間がきたので再度ホールに入るとあれだけ満席だった会場が3分の1ぐらいに減っていた。あっけにとられるが、福島さんは終わったら皆帰っちゃうんですと言っていたから、そういうものなのだろう。lalariのミサ曲を聴きたかった(素晴らしいのだ本当に)が今回は日本の歌曲ということで少し残念だったけれど、福島さんが歌っている姿を見るのはちょっと新鮮だった。演奏はやはり高いレヴェルだった。他の出場のグループもきちんと教育を受けた練度の高い方々のもので最後までこちらがその演奏と対峙できる強度をもっていた。全てに言えるのはその取り上げた作曲家の作品ということが常に前面にくるような演奏だったこと。それが最も印象的だったし、素晴らしいことだと思った。何故学生の先生は早々に会場を引き上げこれを幼い子供たちに聴かせないのだろう?まったく理解できない。学ぶというのはこういう経験を通過させることだと思うのだが。

その後砂丘館にmikkyozの展示を見に行った。ちょうど展示の会期中だった。遠藤くんが居た。蔵には遠藤君の写真があり、2階はインスタレーションが見れる。作品を観賞し終えて遠藤くんにあのディストピア感は君のどこからくるの?とか質問した。彼の内部のどこからあれはくるんだろう。特別意識的ではなかったようだけれど、あの感じ(こちらが受ける)はちょっと突出していた。福島さんは少しわかるような気がすると言っていた。新潟人として。そういうこともあるのかも、、、と遠藤くんも。そういうような話が出来て良い観賞の時間になった。夜になっていた。

翌日新潟から和歌山に。途中、大阪で映画「シン・シティ」を見る。


つまり、日常にもどったわけだ。