hamaji junichi

composer saxophonist

福島諭さんに《変容の対象》2019年1月第5−6小節目を送る。

昨年の変容の総括文は書けずに止まっている。時間はあるが、日常で面倒な作業があるから気もそぞろでこういう時書いてもダメなのである。

ただ夜中、時間はあるので採譜などやっている。困ったことにornette colemanが今更気になる。気になりだしたらもう囚われてそればかりになる。

peaceという初期の名曲があるが、テーマを採譜し、ソロの和声進行が同じかどうか調べるが、結果、当然のようにテーマ部の和声進行と同じではない。jazzは基本はテーマの和声進行を延々繰り返すことで演奏されるが、オーネットがフリージャズのアイコンであり続ける理由が、このようなわけのわからないシステムで演奏される作品を臆面もなくやってのけたことによる。当時の衝撃は相当だったらしいというのは最早都市伝説級に有名な話だ。それで試しにyou tubeなんかで別のジャズメンがpeaceを演奏しているものを数組聞いてみたが、ソロのところははっきり言ってオリジナルとは別物でそれぞれ自由にやっている。勝手な解釈であるからオリジナルには到底及ばない。何の輝きもない。それをやる意味がないように思えた。で、オリジナルはわけのわからないシステムで走ってはいるがそこに何らかの法則性も見える。チャーリー・ヘイデンのベースから和声を割り出す(モードで捉えるとか、そういうことはやっていない。それは明白だ)とそこが根本的に他者と違うということがわかる。ブリッジのセクションが唯一テーマと同じ進行を使い、ソロの冒頭部もテーマの進行に数小節ほど準じてはいるが、それ以降は準じていたり、別の和声進行を割り当てている。面倒この上ないが順に和声を割り当てていて今途中である。ドン・チェリーのインタビューで当時のレコーディングでは綿密にリハーサルをして曲の概念なり構造なりをメンバーが完全に理解して臨んだとあった。勝手な解釈でのオーネットの作品が光を帯びないのは理由があるということだ。困ったことに、と書いたのはそういうことも含めて、何の成果も表に現れないことを気になってやってしまっているということも含まれている。

日常での面倒な作業、、、

私は生きるために生きているのではない。

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岐阜県立美術館