hamaji junichi

composer saxophonist

昨日、腰抜けのインテリ云々、、、と書いた。はたして、様々なことに腹を立てるというのは良いことなのか、それともくだらぬことなのか、、、自分は生きる気まんまんなのか。我ながらげっそりである。



実際、腰抜けでないインテリは大好きである。自分はバカだから、頭の良い人には羨望の感ありまくりである。

例えば、けんかもしたことのないようなインテリと称される人たちが、簡単に「言葉」で暴力を否定し、厳然とある暴力、人間が潜在的に内包している暴力に目をそむけて平和をまるで自分の言葉が勝ち取ったようなしたり顔している様が滑稽なのである。暴力は常にそこにある。そしてそれは「言葉」など簡単に超える存在だ。暴力という「言葉」は腰抜けでも否定できる。それが「言葉」だから。誰だって暴力は嫌だ。戦争も誰だって嫌だ。しかしそれが現れた時には「言葉」もろともその肉体も奪うものであるというイメージがまったくどこかに消えうせているようなあほ面がゆるせないのだ。我々は「言葉」を信じている。しかし盲信は話が別だ。「言葉」は決して万能の神ではない。

安吾を読むとそういうことが恐ろしくクリアに迫ってくるということを書きたかったのだと思う。