hamaji junichi

composer saxophonist

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2023

10月6日に山形に向かう。和歌山から山形は新幹線経由で移動込みで9時間余り。朝7時のくろしおで出た。乗る電車乗る電車全て遅れるというなかなか珍しい行きの行程だったが奇跡的に予約の指定車には間に合って夕刻に山形に到着する。東京まではお馴染みの光景が車窓から見えたが、山形までの車窓は初めての光景であんなに深い山の中を切り開いて新幹線が走っているのは知らなかった。何か、異界に来たような妙な気分もあった。

 

ピアニストの山内敦子さんと山形駅で会い前田真二郎さんとも少し顔を合わせ程なくサクソフォンの木村佳さんとも合流し17:40分のwhat about China?を観た。作品は冒頭60分あたりまでは少しばかりきつく感じたが、中盤からはどんどん良くなって全編を鑑賞できた。こちらもインターナショナルコンペティション選出作品で最初と最後には監督も登壇し、質疑応答も行われた。作品はほぼ音楽で埋め尽くされそこはどうにも抵抗がなかったかと言われればやはり音楽には反射的に耳が行ってフォーカスしようとするから疲れて仕方がなかった。あれは必要だったのだろうか、、、作品として。単純に執拗に提示されるハーモーニー、ディスハーモーニーという概念の提示と音楽の提示は半音階の上昇音(不完全な楽器のポルタメント)の多用と、倍音列の使用などに表れ意識的にリンケージされてはいたと想像するけれど、それほど意味のあるようには聞こえなかった。途中フェミニズムを匂わす箇所で恣意的に扇動するものになったら退席しようかと身構えたがそうではなかったのでそこは監督の節度を感じた。あからさまな盲信の思想、信条への扇動に加担するようなものは映画というもの、表現というものを冒涜しているからだ。

 

7日は山形の海岸線近くを見た。海は恐ろしいほど荒れ狂い日本海の暗い海は親しんでいる太平洋の煌めくような海岸とは異質に感じるが、それこそがその良さのようにも感じられた。山形といえばラーメンらしい。順番待ちの有名店は1時間待って諦め、夕刻になんたら食堂というお店に行き、食べた。美味だった。散発的に雨が降り、一瞬の後には晴れ間から一筋の光が降りるようなストラヴィンスキーの春祭のような(カッコつけすぎであるけれど今思いついたのだから仕方がない)天気だったがレンタカーから山を縫ってダムを見て、夜また山形市街に帰ってきた。その後カテゴリーは「Double Shadows/二重の影 3 -映画を運ぶ人々」の「これからご覧になる映画は」と「イーストウッド」の2本立てを観た。両作とも引用の嵐の側面を持った映画で単純に楽しめた。「これから〜」は映画上映に先立つ取り扱い説明的な体裁をとっていて、構造上短い上映時間ながらシニカルなセリフで会場に笑い声を誘っていた。ルイス・ブニュエル的な質感の画面でそんなことも途中想起された。「イーストウッド」は作中にイーストウッドの映画の断片が挿入されそれらほとんど見たことがある映画なのでそういう視点の結節点を持つことは時間の共有をより強く結ぶ効果があり、また、それと同期して当たり前のようにエンニオ・モリコーネの音楽が流れるものだからその機能的な強さは恐ろしいほど強かった。映画本筋もユニークで面白く鑑賞できた。

 

8日はインターナショナルコンペティション部門に選出された前田真二郎監督作品の 日々“hibi”AUG を会場で見た。今回で2回目となる。1度目は大阪国際美術館での前田真二郎Retrospective展で鑑賞した。

 

2度目は1度目とは全く違う印象があり、この作品の重層的な姿を垣間見るようにも感じられた。様々なカットの集積は目まぐるしく変わってゆくが、脅迫的ではない時間が見るものに用意され、そこに丁寧に提示されてゆく。結果としていくつかの「符号」のようなカットがある年とある年を呼応し、鑑賞者の脳内でそれらがつなぎ合わされる。コーヒーカップの底で刃物を研ぐ、或いはコーヒーの濾過、或いは窓の開閉、或いは同じ建物、或いは同じ人物、或いは、、、鑑賞後振り返ってみると様々な符号がそこに提示されているのを思い返すことができる。ただそれらは刹那的で一瞬で過ぎ去ってしまうからはっきりとした像を結ぶことなく忘却の淵に呑まれて消えてしまう。だから1度目の鑑賞の際に想起されたであることは、時間を経て今回同じ作品を鑑賞しても初見と思われるような、既視感の全くない(それは恐ろしいことに記憶にあるはずなのに全く覚えがないという奇妙な現象を自らに起こすことが度々あった)シーンが登場するのは、これは、どうしたことだろう、、、と。この作品とは僕は少なくとも他の鑑賞者とは違い部分的には何度も見ているはずで例えば別の『日々《変容の対象》AUG』上映プロジェクトで幾度となく観ている光景のはずだ。それなのに既視感が全くない!、、、

上映後前田さんと観客のディスカッションで監督が「人は恐ろしいほど物事を忘れている、、、」という言及があったが作品に図らずも内包している一つの気付きの要素なのかもしれない。

一つの年、一つの年の8月が順に整然と並べられて行き15年の歳月を紡いでゆく。前田真二郎監督の視点を追体験していく我々の視線がそれに干渉する形で時間が結ばれて進行する。それらのワンカット、ワンカットは恐るべき集中力の持続故のワンカットだと2度目の鑑賞後気付かされた。

 

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僕が関わった音楽の領域について

 

2009年から前田さんとは付き合いがあるが、2009年のセクションで既に福島諭作曲作品Amorphous ring I(soprano saxophoneは僕が吹いている)があるカットと共に流れていたり、ある年ではラップトップの画像とともに僕のsoprano saxophoneのサーキュラーブリージング作品が一瞬流れ、またある年では女性の足が車のダッシュボード上で音楽とともに揺れているのも2つのサクソフォンの持続作品だったり、あらゆるポイントで僕のサクソフォンが密やかに挿入されていた。最後の年では最終のカットの前に2つのカットで登場人物としてシーンに写り込んでいる。ひとつは岐阜県美術館での福島さんとの演奏シーン。ひとつはイアマスのスタジオでのサラマンカホールのリハーサルのシーンでソプラノサックスのシーン。ピアニストの山内敦子さんの声も聞こえる。

 

 単独の年に密やかに挿入されていたものが一つの作品として完成され、その際に僕と福島諭との《変容の対象》の作品が1作品(演奏はpiano山内敦子 alto saxophone木村佳)全て。それに2021年の冬にイアマスのスタジオで録音された僕の図形楽譜作品1号(題名未定・tenor saxophone 濱地潤一 piano 福島諭)前田さんのモノローグの場面で使用されたsoprano saxophone solo 〜コンサートkeyで A音があるときは等間隔で、あるときはシンコペーションで、あるときは拍を変えて、、、等、揺らぎを持って配置する(奏者がそれを選択する)作品で初出は大垣ビエンナーレに於ける前田真二郎作品「天皇考」ライブ上映のために書かれた作品、、、それら3曲が新たに採用された。

 

喜ばしいことにそれらの作曲作品はこの日々“hibi”AUG に深く関わり、音楽が音楽としてそこに「そのまま在る」ことで、この稀有な映像作品に『まるでそこに最初から在った』ように機能することを赦されているように存在しているように見えることだ。これはひとえに前田真二郎監督の見えすぎる眼によって可能たらしめたものだと確信して言える。音楽家として。

 

 

私は誇らしく山形を後にした。

 

 

前田さんの作品、映画祭の肌感覚などはピアニスト山内敦子さんのブログに詳しい。是非ご覧を。

ameblo.jp

 

 

 

 

山形国際ドキュメンタリー映画祭 2023 インターナショナル・コンペティション選出 前田真二郎 日々“hibi”AUG

www.yidff.jp10月5日から開催の

前田真二郎監督作品の 日々“hibi”AUG が選出されました。

www.yidff.jp

音楽

 

 

福島諭 濱地潤一 《変容の対象》(演奏 ピアノ山内敦子 サクソフォン木村佳)

 

濱地潤一 図形楽譜作品(演奏サクソフォン濱地潤一 ピアノ福島諭)

《変容の対象》2023年9月第9-10小節目

《変容の対象》2023年9月第9-10小節目を福島諭さんから受け取る。確認してfineとさせてもらう。

 

おそろしく久方振りにブログなど書くのは殆ど酔狂にしか過ぎないような動機だ。単に長く放置していたものに、思いつきでログインして放っておくのも、、、と思った。twitterはXになり、去年から今年しばらくやってみてあんなものに時間など避けないし、インスタも生徒さんに勧められてやってはみたものの、告知を病的な回数上げる人達の病理にうんざりし、ああ、こんな人達とは一緒に居れないなぁとただただ忌避感しか生まれないのは残念でしかないので、福島さんにnoteで変容のことは書いて、あまり読まれないものを書いていきましょうよと(書いた楽譜を送りましたよという連絡の機能以上のものはだから書いていない)お願いして今年からそういったものだけに触れるようにしたのだった。

 

効率的とか、拝金主義とか、兎角目立つ主義主張をアジテーションするものがこの世の善とされ、それが正しいというのならそんな単純な世界など何の価値もない。

 

クリスチャン・ロバのjungleを演奏できるようになることを誰もしない世界など何の魅力もないと思う。

 

金に決して跪かない人種も居るのだ。

《変容の対象》fine

2020年12月31日をもって《変容の対象》の12年がfineした。1年で12曲を作曲し、12年続ける、、、当初からそう言ったことを我々(福島諭・濱地潤一)が構想していたわけではなく、「まずは続けれるだけ続けましょう」といったやり取りを1年目にはしていた。

 

毎月1つの作品を作曲し、1年で12組曲。当初はそれが可能なのかもわからないまま始めた。

早い段階で作曲のルールを更新し、それが12年継続するに耐えうるシステムであり続けるといったことを始め、様々な奇跡めいた事象がそこに内在した144作品と言えるのかもしれない。

 

www.shimaf.com

今日令和2年10月2日、弟が鬼籍に入った。僕の身近な人もあるいは弟の存在を知らない人もいるかもしれない。長く病を患い、その存在を口にすることもなかった。その病は19歳あたりから彼を蝕み始め、46歳で逝ったから27年間その病に支配されていたことになるのか、、、とあまりにも長いその時間を思い、言葉もない。もしその病に侵されていなかったなら、おそらくひとかどのギタリストになったであろうと思う。彼がまだ元気だった18歳の頃だったか、「ギターを弾くのが怖いんだ」と言った。その恐怖、あるいは地獄の気配にすでに気付いていた。音楽の領域が違うにせよ、また、彼もまだまだ未熟な時代だったにせよ、それでも当時のその繊細で正確な演奏には、確かな強い「光」が胎動しており、お世辞ではなく畏怖に似た反応を自身の内に覚えたことをはっきりと憶えている。だから残念でならないのだ。巷で出会い、逢瀬を交わす他の人々はほとんど「音楽」を絶望的に欲してはいない。彼は病に侵されギターをもう長らくまともに弾くこともできなかったけれど、その「魔」には死ぬまで寄り添っていたように思う。もし、、、は無いのは承知で、彼が元気に今の齢で別の人生を歩んでい、ギタリストの道を歩んでいたなら、僕や委嘱して福島さんの作品を、あるいは演奏して、、、と思うと、、、

 

昨日脳出血を起こし、一瞬でこの世を去った。