hamaji junichi

composer saxophonist

昨日の美術家、吉原悠博さんのustを見て、なんだかjohn cageが聴きたくなり、ECMから出ているearly piano worksを久しぶりに引っ張りだして聴く。名盤だと思うがjohn cageはあまり聴かない(理由はわからない)からずっとCDラックに収まっていたものだ。そのなかで、metamorphosisを聴く。4分の5拍子からはじまる12音音楽。しばらく繰り返し聴いた。

 昨日も、今日も、引き続きbluesを。数時間同じことを延々繰り返す。48小節。数日かかって、ようやく、細かなアーティキュレーションを取り出す作業に。やたら速いパッセージもオリジナルと同じ速度で吹けるようになる。模倣自体を最終目的とするようなものには反吐がでるが、模倣を突き詰めて細部を分析にかけることは避けては通れないのも事実。最大の目的はbluesの構造を細分化し、その細分化したものを顕微鏡にかけるような作業をし、そこから見える「何か」を見つけることだが、大枠のコード情報からより、フレーズの組織の方に焦点がなんとなく向くような予感がしていたりする。その和声の上にある音の組織が今、そのとき何故そこに出現したのか。そして、それはどうしてそのような「かたち」をしているのか。

 それにしても、音の速度はあるカタルシスをつれてくる。その速度の中で、1音、1音が見えるあの感じ。

 当面最大の敵は「飽き」だ。飽きたら最後全部捨てることになるのはもう何度も経験してきたから。



 映画をレンタルしたものを観るがことごとく刺さらず。4本とも全て。ちょっと映画を観るのもしばらくやめて、読書に。勿論毎日読んでいるが、映画を観ると読む時間は自然と少なくなる。 
 なのでレンタルを返却するついでに小川洋子の本をまた1冊。

 未読の本を常時数冊は用意してないと不安になるのは変わっていない。

 





「変容の対象」を書いた。ただ、もう少し時間をおきたい。

台風の気配が満ちている。和歌山は台風の通り道では鉄板の地。もうなれっこだが、うっとしいのは変わりない。


macに変えたのは良いが、突然ブラックアウト。再起動をかけてもとに戻れば良かったが、スクリーンのサイズとかが変わってあほみたいに大画面、解像度も下がって出てくるという症状に。夜中いらいらしながら直す。このカスが、と悪態をつき、macにまったくなれないうちにこれかよくそ野郎だったが直った。macを持つのは6年か、7年ぶり。その間にさっぱり訳わからんようになっておりましたとさ。機械にええようにコケにされるのはいつでも相当不快になりますな。

まあ一応直ったからよしとしましょう。今午前6時。どうすんのよ。