hamaji junichi

composer saxophonist

昨日は森英明さんと連絡を取り、時間をいただいて白浜の「九十九」さんに。森さんはオーナーご夫婦のお父さんであるから、お会いする時は必然九十九さんでということになる。昨日もお客さんで賑わっていた。

 気付けば、もう随分とご無沙汰していたからお会いできて良かった。

 何度かここでも書いているけれど初めて九十九さんに行った時、お店にあるピアノの上にセリーヌの全集のなかの数冊がきちんと美しい佇まいで置かれていて、このお店はどういった方がやってらっしゃるのだろう、セリーヌを置いているなんて、、、とシンパシーを感じ、よくよくお聞きするとオーナーさんの趣味ではなく、「お父さんのです」と聞いてお話させてもらったのが最初だと思う。その前に、とある場所で森さんは僕の演奏を聴いていてくださっていて、その時の印象などもお話くださったように記憶している。オーナーご夫婦と僕の別れた妻が同じ高校の同級生だったこともあり、すぐに打ち解け、それ以後はとても親密に接していただいた。離婚した後もそれは続いている。

 昨日は森さんとの会話をとても楽しんだ。博識で柔らかな物腰で語られるお話はいつも楽しい。
「最近は作曲に時間をさいてるの?」
「そうなんです。それが唯一[社会というもの]とコミット出来る手段なんだと思ったりもするんですよ」
そんな会話から始まった。話してみて初めて明確になることがらもあるのだ。僕にとっての「変容の対象」は実はある意味では社会とのコミットの手段でもあるのだな、、、と。それがとても限定的な社会であったとしても。(その限定的な社会こそ社会そのものであって何がおかしい)そう言葉についてみて今さらながらある概念としてかたちを現す。会話が楽しいとはこういった「気付き」も立ち現れるのだなと思う。そこから歌舞伎の話、落語の話や、作曲家福島諭さんと映像作家前田真二郎さんについて、ドビュッシーバルトークランボーの最後について、ミケランジェリ、ピアノの調律について、マイルス、パーカーの素晴らしさについて、バドパウエルの悲劇について、セロニアスモンクの最後について、リーコニッツ、ポールデスモンド、ドストエフスキーの話、ラスコリニコフ、転向の話、津上研太さんの話。

 森さんに是非読んでいただきたいと小川洋子作品を数冊持参した。あとは、レイモンド・カーヴァーも数冊。森さんは大変な読書家でもあるのでもしかしたら読んでいるかなと思って前もってメールでお聞きしたら未だ未読とのことだったので。もし小川作品が気に入って読んでもらえたならあえて持参しなかった「ホテルアイリス」も読んで下さい。とここで私信も書いておこう。

 深夜4時前、オーナーの古久保くんが龍神村出身なので荒俣宏著「帝都物語」の話をふってみた。「ええ、読みましたよ。なんたらかんたら龍神村になんたら〜けりとか書いてましたね」「あれ、あんたちゃんと読んでないな」それを傍らで静かに聞いていた奥さん「うふふ」みたいな話があってちゃんちゃん。

「九十九物語」

 了