hamaji junichi

composer saxophonist

暇つぶし しゃれですよ。あくまで。

 濃い緑が灼熱の太陽の陽を反射して、風に揺れている。山に入って木陰に入り悠平は呼吸を整える。どこからか川のせせらぎが聞こえてくる。時折鳥の鳴き声が木霊し反響し、あたりに満ちた土の匂いと微かなざわめきに耳を澄ませる様に体を静止したまま生命の気配に満ちたその場に凍りつくように座ったまま自らの恥と傲慢さと、そしてある人の面影をカット・アップしながら携帯型のハードディスク・レコーダを取り出した。偉大な作曲家メシアンが鳥の鳴き声を採集し、その音形をスコアに書きとめたことを思い出しながら、リュックから気密性の高いヘッドフォンを取り出し装着する。レヴェルを調整し、音圧を上げた周囲の音の造形が色彩をともなって脳に送られるのを受け入れながら、その磁場に沈殿する思考を感じる。明度を上げた音の様々な輪郭を捉えながら風に揺れる葉擦れの音さえも異質なモノに聴こえ、その表出する世界に没入していった。視界に度々入る光の反射が七色の残照を映すのを見るとも無く見ながら、呼吸することすら忘れて音の記録に集中する。次第に先程まで自らの内に張り詰めていたある感傷など消失し、心地よい緊張と内部の静寂に満たされる。悠平はその瞬間が好きだった。音に満たされながら同時に内部に満たされる静寂が自我を俯瞰しはじめる瞬間が。

 Mとは2年前の夏に出会った。ぬけるような白い肌と少し冷酷そうな青みがかった瞳、言葉は端的で凛としていて、何よりもその声の音色に悠平は心を奪われた。声、、、声にも音色がある、、、そう思い始めたのはいつからだろう。悠平は一人の時、そのことを考えることなく考えていた。別段それが切迫した美に関係しているとは思えなかったがなぜか気になった。今でも時々それを考えている自分に気づく。Mという存在とは関係なく、物思いにふける時それが頭をふっとよぎる。ネイロ、、、という音も好みだ。
「ねえ、、、」
「、、、」
「どうしてだまっているの、、、」
「君の声を聴いているんだ。僕の声はそれを邪魔する、、、」
「へんなひと、、、」
くすっと柔らかな微笑を口元にたたえ、Mは僕の瞳を見る。白いワンピースが風に揺れている。端整な眉。

 悠平はヘッドフォンをしながら場所を移動した。踏みしめる枯葉も水分を含んでいて川が近いのがわかる。時計を一瞬見てまだ昼を少し過ぎたころだと確認し、序々に音像を拡大する川のせせらぎを聴きながら眩暈にも似た情景がフラッシュ・バックする。頭を振り、意識を視覚に集中しながら水の匂いを嗅ぐ。鼻腔に満たされた水の匂いが涼しさをもたらし、愉悦の感覚さえ誘うのを心地よく感じながら、歩を進める。汗が噴出すが何故か不快ではない。陽に透かされた葉緑のフィルターを掻き分け、その音の方に向かって歩いた。

 薄い皮膜のように揺れるカーテン。白く透けたその質感が、昼下がりの午後のたゆたう時間に似合っているように見えた。Mと暮らしている部屋。サティが流れている。
「あっ、、、」
「何?」
「忘れていたことを思い出したわ」
「どんなこと、、、」
「夢を見たの。夢ってどうして忘れるのかしら、、、そう、でも忘れない夢もあるわね。でもほんとんどの夢は忘れてしまう。わたし、擬態をしているの」
「擬態?、、、それって、、、夢の話だよね」
「そう、、、夢のなかで擬態をしているの、、、誰かに見つからないように、、、息をひそめて、、、」
「誰に見つからないように?」
「わからない、、、でもそこはとても美しいところなの。そしてその美しいところに同化したくてわたしは擬態をしているのかも、、、って思いはじめる、、、」

 川に出た。太陽の陽に焦がされた岩肌が白く乾いている。目に付いた日陰に入りそこに腰掛け、悠平はしばらくその音に没入した。マイクの角度を調整し、レヴェルを見る。蜻蛉の一種が繊細な羽を優雅に羽ばたかせながら、水面を飛んでいる。深く切り立った崖に挟まれたそこは風の通り道になっていて、噴出した汗を乾かせてくれる。時折山女が水面を飛ぶのが見えた。

 そのままMは眠ってしまった。白い首筋に光が差している。「擬態か、、、」悠平はつぶやき、Mの言葉を反芻した。言葉そのものの意味より音色が印象に強く残っている。そっと体を起こし、煙草を取り出し火をつける。寝息をたて、微かに微笑んでいるようにも見えるMの寝顔を見ながら、馬鹿げているとは思いながら彼女自身が自分にとってメタファーなのかも、、、と思う。吐く煙草の煙が風に舞い、すっと消える瞬間。その一瞬の光景が奇妙に目に焼きついた。サティはまだ演奏を続けている。
 
 羽虫の音と蝉の鳴き声がノイズのように密集し始める。圧倒的とも言える音の密度。ヘッドフォンで密閉された頭蓋にそれが満たされる。川のせせらぎとそれが混じり、混沌とした音にも聴こえるがしかし調和しているようにも感じられる。しばらくその音群を採集し、悠平は録音を一先ず停止した。ポケットから煙草を取り出し、火をつける。煙が風に煽られ、一瞬で川の下流めがけて流れ、川の中程で上昇して消える。それを見ながら悠平はMの夢の話を思い出していた。「擬態か、、、」悠平はそう呟きながらMの唇の動きをイメージし、その声を聴いた。温度の感じられない透明な球体を思い浮かべる。Mの声は冷たい印象ではない。ただ音色はいつも涼しげで心地よく耳に透る。

 サティの神秘的なページのなかの「祈り」と題された小品が始まる。悠平は開け放った窓を閉め、カーテンを閉じた。Mの眠りを邪魔しないように。Mにタオルケットを掛け、サティを止め、自室に向かう。数日間採取した録音物をハードディスクに整理し、編集すべきポイントとその作成マップを方眼紙に書き留めてゆく。フィールド・レコーディングの素材を構造的な音組織に変換する作業。悠平は別にその作品を発表しようとは思っていない。アウトサイダー・アートを標榜しているのでもない。フィールド・レコーディングの音の音色に興味を惹かれ、平均率とは違う別の音の構造化を夢想していた。ほとんどは失敗に終わったが、ある作品ではそれに少し近づけたような聴取感を獲得出来たような気がしていた。作品には題名は無く、デスクトップには日付とナンバーだけが打たれていて、悠平だけにわかる印が付記されている。もうno.128を数えた。

 女郎蜘蛛が巣の中で佇んでいる。幼い頃女郎蜘蛛の巣を見つけては別の女郎蜘蛛をつかまえてその巣に放った。すぐにその巣の主は攻撃をしかけ喧嘩が始まる。片方が死ぬまでそれが続く。悠平は黄色と赤と黒の鮮やかなその肢体を見つめながらそれを不意に思い出し、ヘッドフォンを装着する。もう数十分録音して帰ろう。そう思いながら川に沿って続く細い道を登る。陽は陰って今は少し涼しくなった。水の匂いのする道を登りきると車が一台通れるほどの林道に出る。光を遮る木々と、切り立った岩肌にそって道は続いている。ヘッドフォンからは悠平の足音と、時折遠くで鳴く鳥の声が断続的に響いている。

 ハードディスク内の録音データーを作成したMAPに従って編集してゆく。方眼紙にかかれたMAPには素材の時間と切り取るポイント、max/mspの処理の方法が図形をともなって書かれている。デスクトップに並べられたアイコンを見つめながら、処理を走らせ音像を確認する。フィールド・レコーディングの音の素材が様々に変換され、鳥の鳴き声が高周波の電子音のような響きに変わる。川のせせらぎが柔らかなノイズとなり、葉擦れの音がきらきらと装飾的な音像を形成する。交錯する鳥の声の色彩は悠平を静かにその音像と同化させ、いつしか自我をも呑み込んでゆく。「擬態か、、、」悠平はつぶやいた。

 そこは木々の枝が両端から覆いかぶさったドームのような場所だった。厳しい日差しの気配は背後に流れ、悠平の眼前には白い木々の美しい肌が整然と並び、見上げれば、鮮やかな葉緑色の透かしが眩しかった。しんしん、、、と時が鳴るような場所。時折枝から風に舞う木の葉がゆっくり落ちる。「こんな場所が、、、」悠平はひとりごち、鼻腔から新鮮な空気を吸い込んだ。上質な空気が肺に満たされるのを感じながら目を閉じる。眩暈を感じるほどそこに満たされた気配は悠平を捉えた。

max/mspのプログラムを走らせながら、悠平はパラメータを操作する。音の変化と揺れ。ヘッドフォンから流れるフィールド・レコーディングの音素材は最早その原形を留めてはいない。画面に展開されるパッチの形状が何かの意思を持っているように複雑に、しかし不思議な安定感をもった図形に見える。内省的な音の連続体が現れ、そのポイントを反復する。そっと肩に触れる感触。振り返るとMが微笑んでいる。
「起きたの?」悠平はヘッドフォンの右耳だけはずす。
「ごめんね、寝ちゃったみたい、、、」
「いや、、、」
「これ、新しいの?」
Mはモニターを覗き込み、指でプログラムの図形をなぞる。
「聴いてみる?」
「ええ」
Mにヘッドフォンを手渡し、悠平はスタート・アイコンをクリックする。
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Mは時折悠平を見ながら音を聴いている。
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「あまり、おもしろくないだろう、、、こういうの、きみには、、、」
悠平はヘッドフォンを受け取りながらモニターを見る。
「でも、この混沌は秩序そのものに聴こえるわ、、、それは素敵な発見かもしれない、、、言葉たらずだけれど、、、」
「きみはやさしいね、、、」
「そうでもないわよ、、、」
Mの微かな微笑みの吐息。

夕刻の夢幻

 張り付いた汗の皮膜が序々にそのドームの中で消されつつある。思い出したように一瞬、葉擦れの音が重奏的に響く。頬を掠める直線的な風の軌道が悠平の意識を覚醒するように思うが、なにか感触の無い、確かな存在すらここには無いような気さえするのは何故なのだろう。微かな眩暈を感じながら、ふと、思い出したように録音ボタンを押す。ヘッドフォンから聴こえる音に没入するが、眼前の眩い光景とは乖離しているような奇妙な不安定さが心を満たす。「不安定から安定へ、、、」頭の中で呟くが、それが唐突すぎて自分でもおかしかった。ドミナント・モーションか、、、

(つづく)