hamaji junichi

composer saxophonist

映画プラトーンを観る。何度も本編でかかるバーバーの弦楽の為のアダージョ。ウィリアム・デフォーのあの有名な両手を天に掲げるシーン。

音楽のみを聴くかぎりバーバーのこの作品が戦闘のシーンを想起させるかといえばまったく想起しない。哀愁を帯び、優雅で気品があり、切なすぎる美しさがただ込み上げてくるばかりだ。少しばかり「死」を連想する美しさはあるが、それも「安らかな死」であって戦闘の激しい模様ではない。

映画ではまったく逆の印象をあたえる音楽をシーンに重ねることが良くある。マフィアの銃の乱射のシーンでごろごろ人が死んでいる時に、やたら美しくエレガントな楽曲がかかったりする。それが心に触れることもままある。

シーンと連動した同じ印象をあたえる音楽より、落差のある音楽の方が心に残るのは何故だろう。

ブレードランナーのファイナル・カットを観る。ウィリアム・ギブスンニューロマンサーがどうしても想起される。あの世界観は大好きだが、もはや資本主義の未来を映すものでは無いな、、、と観ながらぼんやり思った。素晴らしい作品には変わりないですが。

今日は塚本晋也監督の映画を観る。


今、福島さんの日記を拝見。http://www.mimiz.org/index.php  「Amorphous Ring I」の音源作成を再度行っているようで、楽しみだ。原曲の音源はもういただいていて聴いた。なるほど。という感じを受けたのは、実際に自分は譜面を見ながら、与えられた指示、主にテンポと出来うる限りまっすぐなトーンを維持しながら、同時に走るそのスコアの時間軸と、コンピュータの処理の時間軸を相互に認識しながらその音の組織をその瞬間に「経験」していて、細部の認識はこれまで演奏の場である種明確に聴いてきていた。しかし、全体を俯瞰して、そしてそうしながら細部を検証することは今までなかったので、福島さんの構築したスコアと音響処理の造形の「姿」を改めて聴く(見る)ことは新鮮だった。今行われているもの(複数のヴァージョンがあるそうです)がさらにどういった造形を現すのか、興味は尽きない。
contemptも楽しみだ。