hamaji junichi

composer saxophonist

発表後記

さて、何を書くべきであろうか。思いつくまま書こう。

grid605で作品の発表の為、今月はlayered music op.1の改定に時間をかけていた。牧野さんと鈴木さんとの室内楽様式のトリオ作品として、演奏者自体が固有の認識で作品に介入でき、機能可能な作品(つまり誰が演奏するかも非常に重要なファクターとして機能する)というコンセプト。そして、ソプラノ・サックスと、エレクトリック・ギター、エレクトロニクスのアンサンブルのシリアスな干渉とそしてあるPOP性(これはもっとも私的な願いでもあり、一般的に流通しているPOP性とは本質的に違う)を表出出来たら、、、と夢想しながら改定をおこなった。鈴木さんのライヴ・エレクトロニクスも楽音として私は捉えていて、平均律の外側の楽音としてきちんとそこにアンサンブルされ、無調作品であるが、音楽的に「響く」という改定にしなければならないということを中心軸において改定した。今回実際に演奏してみて、その改定作業はうまく楽曲を再構築出来たと思う。牧野さんが譜面を見て「不自由の美」と書いてくれていたが、その「美」こそ、この作品に限らず常に希求している概念であることはここに改めて書いておきたい。「美」という様々に解釈可能な概念であっても、その「美」を標榜し、それを表出する為に手に入れなければならないもののひとつに「構造」があげられる。例えば無調を組織する為の確かな「構造」があり、「構造」なくして一歩も踏み出しえないという概念は「美」を表出するということになだらかに繋がっていて、音を組織するうえで中空に点在する結節点を結び合わせる根拠になる。感覚的な「音楽的美」という概念があまりにも不確定な感情を根拠に表出されることが幸福であるか、またはそうでないかは人それぞれだが、私は後者であることはどうやら事実であるようだ。牧野さんの「不自由」という言葉の一側面に音列に縛られているということが内包されていると推察するが、その不自由さがまさしくその「構造」を支える重要なものであることを言外に言い表してくれているように思い、読んだ。

いつもならライヴの模様など書くところだけれど、そんな感じではなくなったのでそれはよそう。

次につながる発表でした。

演奏は録音したのでその感想なども書きたいと思うが、それはまた。

なにより聴いていただいたお客様ありがとうございました。

aenさんの作品も静謐で素晴らしかったことはここに記したいと思います。

濱地潤一























帰って早速福島諭さんから「変容の対象」9月4〜5小節目を受け取る。そして今日5〜6小節目を送った。5小節目最後の私の提示に応える福島さんの5小節目の和声。意思、意識は確かに伝わるものだな、、、と思いながら譜面を読んだ。