hamaji junichi

composer saxophonist

Pride

今日、NHKのドキュメンタリーを見た。和歌山の太地町のくじら漁に携わる漁師さんと、例のシーシェパードやその他の環境保護団体との「日常」を扱っているものだ。カッコつきの日常と書いたのは最早太地ではその軋轢、干渉が日常化してい、このままでは漁師さんたちの誰か、または家族の誰かが、気がふれてしまう(実際人は簡単に気がふれる。そうなったらもう取り返しがつかない)のではないか、、、とすら思う執拗で陰湿な嫌がらせがあることを映像から充分に見て取れるもので、随分と酷いことを言われ続けているのですね、といったやりとりが映っていた。漁師さんたちに浴びせかけられる罵詈雑言はヒステリックで、Killer!killer!と白人の女がとおり過ぎるたびに言っている映像は寒気すら起こるものだったし、他にも酷い差別語が飛び交っていた。随分と傲慢な物言いは潜在的差別意識も感じられたし、何より、その「傲慢さ」は見ていて醜悪の極みだった。何故あのような傲慢さが赦されるのか。尊厳、、、ということを考える。そもそもあのような団体は狂信的な団体で、その時点で語るに値しないが、その狂信が団体を形成し、集団意識を持つようになり、その支配下にある狂信的個人の盲信による行動についてお墨付きを与えるという最悪の、共同体を形成するのを我々人類史は幾たび見てきただろうと思う。魔女狩りがそうだし、行き着く果ては、、、言うまでもない。

人が生きていく限り、他の生命を喰い散らし、それらの累々たる屍の上に我々の生命が成り立っていることすらイメージ出来ないのだろうか。

Pride「傲慢」は7つの大罪のひとつ。その罪を焼き尽くすのは、、、答えはひとつしかない。