hamaji junichi

composer saxophonist

例えば、何かを告白して初めて自身の本当の真意が理解出来ることがある。だから、教会で牧師に告白をする、懺悔をするということも脈々と続く伝統の中に人の知恵の集積の姿が見てとれるのか、と想像したりする。
 告白して初めて、自分がそれをまったく欲していなかったと理解できたこともあった。あれほど切実に欲していたにもかかわらず。人というのはやっかいな生き物だ。自分ですら自分のことをわからずに居る場合があるのだから。

 悶々と一人考えこんで思索に耽り自らの真意を探る行為、が必ずしも心から望む姿を映すとは限らない。
他者に告白することが「鏡」の役割をすることもある。その場合他者からかえってきた意見はさして重要ではなく、それを表白したこと自体になにがしかの意味性が内包されているとしか思えない。

 何を言っているかわかりますかね。自信はないですが一応残しておきます。





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話は変わりますが宮沢賢治の「眼にて云ふ」という詩をご存知でしょうか。未読の方は是非読んでみて下さい。

http://www.kenji.ne.jp/why/sonota/02menite.html



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とあるtwitterの生け花の写真を連続で見て感心する。美しい佇まい、凛とした風情を感じた。