hamaji junichi

composer saxophonist

昨日夜。掃除し、少し汗ばんで脱ぎぬくくなったdiorのジーンズの裾をずぼらかまして足の裏でおさえて脱ごうとした瞬間数センチ破れる。結構前のデニムの為生地が弱くなっていることを考慮すべきであった。残念すぎる自身に悪態をつく。その後補修してもらう。もともとダメージがある加工の為、問題なし。

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今日は祖母を三重に送りに行く。道中、自然に目に入る熊野の山々に自生する木々を見ると、濃い緑の葉に燦々と照りつける陽の光を纏い、強力な息吹を放射していた。

祖母は大正9年生まれ。二十歳ほどから第2次世界大戦を経験したそうだ。若い、本来なら全てが輝いて見えるであろう時期に、戦争を体験したことを思うと、私のような甘え果てた者とは格が違う、、、と思い、その時に経験したことなどを聞いた。

熊野市に入り、寿司丸さんというお寿司屋さんで昼食をとった。熊野市の名店。普段は手軽な為、なんの迷いもなく回転ずしなんかを食するが、ほんまもんの職人さんのにぎる寿司はまったく別の次元のものであるというのを頭ではなく、舌で思い知らされる。そりゃそうですよ。比較の対象にするのも失礼な話なのだが、我々は利便性という魔物にいつしか飲み込まれていて、そういった熟練からうみだされる物を経験する機会すら、、、そこに意識を向けることすら、知らず知らずのうちに奪われているのではないか、、、と思ったりもした。なにしろ、その美味なること山の如し。鉄火巻きに使われている鮪の見事な輝き、海苔の香り、シャリの味、目が覚めるような味だった。赤出汁も濃厚で圧倒的美味。握りも素晴らしかった。勿論、手軽な大手チェーンのレストランや、回転ずし屋さんも自分を含め喜んで人々に利用されているからそれはそれで素晴らしいが、一方でこうして長い時間をかけた熟練の味(魚を選ぶ審美眼も当然そこにある)を前にすると、その深淵さに言葉を失うようなそんな喜びを感じたのだった。ものを食べて喜びを感じる。久しく経験していない領域に触れた気がした。それに、このみでにぎってもらうものではなく、普通のにぎり1人前半と鉄火巻きをたのんだので、お値段も祖母のにぎり一人前とあわせて3千2百50円。回転ずしの値段に少し色を添えたぐらいである。ランチの時間だけなのかもしれないが、納得以上の納得。