hamaji junichi

composer saxophonist

「変容の対象」2013・11月第14−15小節目fine

昨日。「変容の対象」2013・11月第14−15小節目を福島諭さんより受け取る。

fineを想定していますと。

http://mimiz.org/index.php?ID=1028


昨日はまともに夜眠り、一度全体を確認し、それからまた眠った。
疲弊しているのである。

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今月の末、30日には新潟で我々の「変容の対象」2012年度版初演がある。その次の日には数作品の録音が新潟のスタジオであり、そして、今月の「変容の対象」があり、もう、それだけでこのひと月は「圧」がはんぱではない。それに煩わされる日常の、細々としたことも生きていれば当然あるわけで「”物事”がすんなりいくとは限らない」いや、むしろ全然いってないじゃないのよ。となる。

思い返せば1年前あたり、今月の変容2012初演に際して、福島さんと自分の発表(コンサート)も想定して、そこには作曲家・桑原ゆうさんの書き下ろしのサクソフォン曲もふくめ(当時の桑原さんとのメールのやりとりでもそのサクソフォン曲の2、3のアイディアが書かれていた)開催できたら、、、というような話があり、折にふれ、そういった想定は我々の間で話されてきたけれど、結局こういったことも「”物事”がすんなりいくとは限らない」という理の範疇に埋没し、と、こんなややこしい言い方せんでも、会場の都合とかがうまくいかず、また次の機会にしましょうと。同時にスタジオの録音も可能性のひとつとしてあり、つまり我々のこういった活動には幾筋も文脈めいた発想の枝があり、ある枝は表層に現れ、ある枝は隠れて見えない。わざわざこういったことを書くのはそういった隠れた枝も「もう既にはじまって」いることであり、そのはじまっていることをどうやって表層に引きずり出すか、という、、、つまりそういうことなのだ。

今回の録音に関しても「contempt for saxohone and computer」はいつか時期をみて津上研太さんに演奏していただくalto saxohone ver.の前段階のテストケースで、今回は自分がaltoで吹くことになっていて、soprano saxophone ver.の時とは旋律組織の発想、着想自体が大幅に変遷している。作品の構造上の旋律の組成方法はその奏者に委ねられるものであるから、こういった変遷はこの作品に初めから内包されている思想であり、無論楽器の違いもそれに干渉する。sopranoとaltoはまったくの別もので、言うなれば楽器自体の思考方式も違う。固有の言語体系とも言うべき差異がそこにあり、さらに奏者自体の思索、思考の流れも干渉し、そこに表出されるはずのものはそういった結節点の交わった運動体である、、、

こういった文脈、隠れてみえない「もう既にはじまって」いることに我々は、さらに自分はどう向き合うべきか。時間に埋没して、自らそれらを忘却の淵に投げ入れて、そのことすら気付かずに生活にあけくれるのなら、、、それは、、、と。




まずは表層に現れているものを手に。

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福島さんにfineとお伝えする。