hamaji junichi

composer saxophonist

前田真二郎+濱地潤一+津上研太『日々”AUG”』に関する後記

3月17日。

東京に着く。羽田から新宿に向かう。飛行機の中ではポール・オースター「孤独の発明」を読んだ。ホテルに荷物を預け、高島屋クレイドルに行く。眼鏡のレンズを交換してもらうため。接客が素晴らしく東京でよく出くわすあのよそよそしさは微塵もない。良いお店にはそれだけの理由があり、そういう意識が行き届いているものだ。effectorという眼鏡で有名だ。

すこし街を歩く。本屋に立ち寄り、あまりに買いたい本があるので逆に閉口してしまう。ユナイテッド・アローズに行こうかとも思ったが、どうせ何も買えないのだからやめにした。


チェックインを済ませ、目黒に向かう。今日はスタジオで前田真二郎さんから作品についての説明と演奏についての打ち合わせがある。着くと津上研太さんと目があう。握手。前田さんはセッティング中だった。一通り説明を前田さんから受け、とりあえず津上さんと音をつけてみる。うまくいかない。それで和歌山で考えていたことを提案してみた。二人同音でのロングトーン倍音の干渉を表出するものだ。うまくはまったようだ。津上さんと昔スタジオで1時間ずっとこういうことをやった。津上さんも覚えていて、前田さんにその時のことを話している。皆、手応えはあったようだ。音程の揺らぎの制御で倍音が飛び散る。聴こえる人にはちゃんと聴こえる。経験則として、それは凄い光景だ。

ひとまず、映像もfixではないからと、おおよそのアタリがついた頃、終了。目黒駅の近くで軽く食事をし、バスに乗って前田さんと神奈川芸術劇場に向かった。津上さんは途中で降りて帰途に。劇団「地点」のスポーツ劇を見るため。音楽監督は作曲家・三輪眞弘さん。原作はエルフリーデ・イェリネク。名前はどこか記憶の片隅にあって、多分何か読んだかで、前田さんから行かないかと言われて是非にと。音楽も聴きたかった。

超絶技巧。劇中全て、シーツ・オブ・サウンドのごとく役者さんの台詞で埋め尽くされていた。ちょっと形容できない凄さだった。神の領域に触れること、、、

音楽は配布された印刷物にその構造の一端が説明されてあり、アルゴリズミック・コンポジションでの合唱曲であり、自分は左サイドに着席していたので右上部2階の壁伝いに配置されたの女声のセクションしか見えなかったが、彼女たちの視線真正面には左上部2階の壁伝いに男声のセクションがあり、呼応運動をしているものが見えた。個人的には劇最後あたりの君が代の旋律が遅延、滞留を含んで不定形の様相を示して立ち現れた瞬間が、劇の世界と干渉して「何か」を降らせたように見えたようにも思えた。

それにしても未だ見たことのない劇で、あの凄絶さはいったい何だったんだろうと今でも思う。凄い人達がいて世界のどこかでこういうことが「起こっている」。パブリックイメージにおける俳優なんかは「お話」にならないじゃないかと。階層が違いすぎて比較にもならない。

超絶技巧。その超絶なるもの、の中に、、、


18日。新宿のホテルをチェックアウトし、目黒の庭園美術館に向かう。陽は燦々と輝きもう春の息吹が漂う。目黒に着き、人影まばらな道を歩いた。まだ昼前で通りの飲食店もひっそりとしている。頭上に高速道路が走り、その交差点を過ぎると林が見える。程なく着いた。警備員の方に明日の出演者であることを告げ中に入る。道なりに奥に行くと建物が見え、そこで入館の手順をまた聞いた。新館に行ってくださいとのこと。もう少し迂回し新館の裏口からパスをもらい入館した。ギャラリー2。前田さんは準備中でしばらく待つ。煙草を吸える場所があるのか心配だったが河合政之さんに聞くと場所があるらしい。試しに聞いた場所に行って見る。今日から2日間お世話になる場所だ。津上さんも会場に入られ、二人で待つ。そしてまた喫煙所に行く。津上さんは紙巻き煙草を愛飲している。「お前、相変わらず黒だね〜」と昨日スタジオで着ている服を言われたけれど、今日も黒だ。「ちょっと他の色着たらどうよ。気分も変わるぜ」などと言われながら「春からはちょっとグレーとか着ますよ。白のnew balance買ったんで」「グレーかよ。変わんねえじゃん。原色の赤とか着てみれば?」「はあ、、、」なんつう話をしながらギャラリー2にもどり、リハを行った。前田さんからは昨日の映像を少し組みなおした旨の説明があり、それらの箇所を提示しながら音をつけていった。映像も新たに一つのブロックを追加することにより、全体の構造がクリアに浮かび上がってきていた。2、3度通しただろうか、スクリーンを背後に津上さんは左、センターに前田さん、自分は右に配置していて、奏者の目の前には譜面台に置かれたヴィジョンモニタが前田さんの作品を映し出している。我々は譜面としてその映像作品をモニタで見るという図式だ。この方式は昨年の大垣ビエンナーレで採用されたもの。(自分はその時の奏者だった)映像には奏者だけに見える映像の単位ナンバリングなども映し出される。1ー10までは同音のロングトーン。循環呼吸。11−15まではshort attackなどと決められ、前田さんを挟んで津上さんとブロック別の決め事の確認と今の演奏はどうだったか声を飛ばし(まあまあの距離があったから)ながら最後に前田さんに確認をとって進めていった。途中そのモニタに映る前田さんの作品『日々"AUG"』の映像が名状しがたく美しいので見蕩れてしまうこともあった。9分割された画面に8つの映像が同時に走る。右下1コマは空白の黒の画面。つまり8年分のひと月の記録された映像が同時に走っている。演奏の、音楽の行方を示唆するものとしての意味合いと同時にそこに介在する審美的トポスがその画面の中にあったようにも今は思える。最後にもう一度確認しながらパート別に演奏し、リハを終えた。これから蒲田のホテルに一度チェックインしに行き、自分は夜の津上さんのジャズを聴きに行くことになっていた。


御茶ノ水「naru」。JRお御茶ノ水駅に降りる。昔ここでディスクユニオンに行き、目を皿のようにしてCDを探し回り、ついでにそこから坂を下りて神保町に行き、古本を探すのが日課だった。夜の感じは随分その当時と変わっているように見え、活気が漲っている。昔はもう少し違った印象だったようにも思うが、どこがどう違っているのかはわからなかった。「naru」に着く。
有名なジャズクラブではあるけれど、自分は一度も行ったことはなかった。こじんまりとはしているが、良い雰囲気のお店でカウンターは全てステージを向いており一段上に設えてある。一段下にボックス席が5つほど。ピアノを囲むように数脚ばかりのもう一つのカウンターがあった。自分はピアノのカウンターの端に案内された。メニューを見るとよくあるライヴハウス的なジャズクラブではなく、ダイニングを兼ねた少しばかり高級なお店と知る。客層はサラリーマンが中心だが、一人でジャズを聴きに来るイカした女性や、カップルらもいて、セカンドセットあたりまでは満席だった。きっとデートなどにも重宝されているお店なのではないだろうか。ちょっとジャズシーンでは珍しい位置付けのお店だ。良きにつけ、悪しきにつけ、また規模の大きい、小さいの差はあれどpit inn的なお店が多いし、それが普通だ。音楽だけを聴き、ワンドリンクで、という。サードセットはさすがに時間的なことも関係して客が引いたけれど、そのサードセットが出色だった。チャーリー・ヘイデンの「ファースト・ソング」「ラ・パッショナーラ」。ヘイデンの作曲者としての突出した何かを見たような気がした。オリジナルの録音を帰ってから聴いたけれど、あの「ファースト・ソング」はオリジナルをはるかに凌駕した何かがあった。津上さんのサクソフォンも全てのセット中で最も美しかった。行ってよかった。終了は11時半を過ぎていた。津上さんへの挨拶もほどほどに「naru」を後にした。外に出ると雨が降っていた。


3月19日。

雨。朝ソプラノサックスを持ちホテルを出る。開演前にゲネはあるけれど実際の演奏よりも転換やセッティングの配置などが主になると聞いていた。庭園美術館へ向かう道すがら津上さんとばったり出会う。昨日のチャーリー・ヘイデンのことについて話しながら会場に入った。

ゲネも終わり、開演までの間に津上さんとガレの展示を見て回った。津上さんはこの庭園美術館の建物自体が好きだと言い、何度もここに来ているんだと語った。展示を見ていると新潟の遠藤龍くんが声をかけてくれる。福島諭さんからもしかしたら遠藤くん行くかも、、、と聞いていたけれど、わざわざ新潟から、、、と。今晩帰るんですと笑って言った。遠藤くんは映像作家でありフォトグラファーでもある。


いつの間にか雨から晴れ間がのぞいてた。津上さんが「俺晴れ男なんだよ」と言って笑った。



開演。


目黒庭園美術館
【Moving Image as Live Performance 2】
ライヴ・パフォーマンスとしての映像 2
○今井祝雄『時間の衣裳/壁男』
1978年非公開でおこなわれたパフォーマンス『時間の衣裳』に次いで構想された、ダンサーとのコラボレーションによる『時間の衣裳  /壁男』を、37年ぶりに公開で実現する。
○前田真二郎+濱地潤一+津上研太『日々"AUG"』
日々ある規則に従い撮影した数年分の映像素材を、ミュージシャンとのコラボレーションによるライブ演奏も加え、現場でデジタルに再構成する映像作品。
○河合政之 with 浜崎亮太『ヴィデオ・フィードバック・ライヴ・パフォーマンス +?』
大量のアナログなヴィデオ機材の信号を暴走させるヴィデオ・フィードバックに加え、アナログなVHSテープとデッキを使用したライヴ・パフォーマンス。
15:00-17:00
会場:東京都庭園美術館 新館 ギャラリー2



会場には作曲家の三輪眞弘さん、dumb typeの砂山典子さんが来られていて、砂山さんとは少しだけ話すことができた。
他の方々の発表を見ている中でお客さんが熱心に鑑賞している様子が伺えた。メモを取りながら、またある人は全て映像で記録していたりする。あるいはメディア・アートを専攻しているような学生さんだろうか、そんな感じだった。そういった人たちも多く来場されていて静かな熱気が会場を覆っていた。

終演後津上さんとギャラリ−2の隣のカフェに入った。カフェの方が「今日はお疲れ様でした」と一言。印象に残った。津上さんに福島さんと自分の「変容の対象」のwebを紹介し、作品について少し説明をした。津上さんは携帯で検索し画面を見ながらそれを聞いていた。今日の感想も聞きながら音楽家が映像作家に提案でき得る領域(例えば冒頭の同音のロングトーンの音程変化の制御によって起こる干渉による倍音発生)のこと、コラボレートする、その意義や意味ということ、などを話した。

前田さんも合流し、打ち上げに。前田チームだけの打ち上げの後、全体の打ち上げに。自分は疲れてしまい早めに帰らせてもらった。

20日。
蒲田に前田さんが来てくれ少し話す。羽田行きのバスの時間まで。前田さんは車で今から岐阜だと言う。前田さんと津上さんと自分との邂逅は昨年の岐阜でのイアマスのスタジオレコーディング以来だ。そこから時間の継続があり、様々な符号を共有していくやり方は間に前述の大垣ビエンナーレを挟み、今回の発表に繋がっている。前田さんには津上さんの言っていたことのいくつかを伝えながら、本番が一番良かったよ、と話した津上さんの演奏直後の顔を思い出しながらビエンナーレの作品と今回の作品での自分の内部に形成されたものを頭で反芻しながら話した。「じゃあ、僕はそろそろ行くね」と前田さんが言い、握手をして別れた。すぐそこのバス停が見えるカフェで最後の煙草一本を吸った。