《変容の対象》2016・7月fine
変容の7月もfineを迎えた。
冒頭文は自身による「contortion」で言葉としては良いが概念としては変容がもともと持つ性質と親和性があるのであまりよくなかったのではないだろうか、、、途中からそう思い出したけれど始まってしまったものは後戻りはできない。万物の理。
今は8月2日でブログの日付は7月31日。改変。
改変、といえばスチームパンク。もしも歴史がこう動いていたなら、、、ありうべき世界。というような小説の形式であり、無論サイバーパンクの亜種である。映画で、スチームパンクはあまり進んで読む気はないけれどこういうのだったら読みたい、、、と思ったものを見たが題名も、内容すら思い出せない。そう「思った」という事実だけが記憶にある。
サルトル「嘔吐」を読んだ。多分20数年ぶり。名作の誉れ高いこの小説、昔読んだ時より格段に面白いので驚く。新訳であるというのもあるのだろうが、まあ見事だ。音楽、ジャズが語られるときのかっこよさと洗練具合はちょっと他に類を見ない。またこういった文章がある。
『自分自身の死を内的必然性として誇らしげにおのれのうちに抱えているのは、音楽の調べのみだ。』
またあるいは
「私たちのようにすべきだ、リズムに合わせて苦しむべきだ」。
サクソフォンの歌のところの言説である。
文意とは別の領域で真理を言い当てる。天才の所以である。