hamaji junichi

composer saxophonist

福島諭さんのサンレコの寄稿文を読む。近くの本屋さんには置いてなく、車で外出する時に探そうと思っていて少しばかり遅くなった。今店頭に並んでいる「サウンド&レコーディング」誌。是非。


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目が悪くなって久しいが、こんなに疲れるものだとは想像できていなかった。目の悪い人は大変だったのだなと。絶えず眼球に何か負荷がかかっているようで、やる気も失せる。映画攻殻機動隊2「イノセンス」のバトーは「生きることに飽きた」男である(作中荒巻がほのめかしている)が、そんな気分にもなる。特にひどいのは譜面を見るときであり、読むのに別の意識(見えないゆえの)が常に入り込むものだから演奏そのものにも飽きる。散漫になり練習どころではなくなるので、とりあえずの安物の眼鏡をかけるが慣れてないのと安もんなのでどうしても負荷がかかる。どないせえちゅうねん。となり、今度の東京の演奏の時にはきちんとした眼鏡を用意しなければならない。

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チェーホフの短編集を読んだ。初期の軽い読み物として書かれたもの。家族を食わすために書きなぐっていたとある。「桜の園」「三人姉妹」ももう一度読まないといけない。

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グレッグ・イーガンの新しいのを読み始めたが駄目だ。設定がどうしても、、、

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ジャック・ケルアック「路上」はようやく読み進められて半分あたり。20数年読み始めては中断、ほったらかしを繰り返してきたことになる。

J.G.バラードの「コカインナイト」を読み始める。これも買ってから最初だけ読んでほったらかしのものだったが、今読むと何故ほったらかしにしたのか理解に苦しむ。おもろいのに。

ナボコフの「賜物」も読まなければならない。

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サルトルの「嘔吐」の扉にはルイ・フェルディナン・セリーヌの「教会」の一節が書かれてある。サルトルは当時セリーヌ反ユダヤ主義を知らなかったらしい。自分も国書図書刊行会の全集は数冊持っていて一時読みふけったものだが、セリーヌ反ユダヤ主義は知らなかった。セリーヌのことだからそれはまあボロカスなのだろうが、ユダヤ人は優れた民族であるのは作曲家の、そうそうたる面子だけ見ても明らかで、いかにセリーヌであってもアホぬかせである。