hamaji junichi

composer saxophonist

《変容の対象》2017・5月第17−18小節目を送る。

東京の成瀬くんから携帯水没読んだので、とメールをもらう。ありがたい。こちらからはどうしようもないので手紙でも書く折にと思っていたのだった。

もう気づけば5月も終わり。

空は完全に夏のそれである。蒼天。

そういう牧歌的感傷もないではないが、歳をくうともう全ては虚である。

歳をとってわかること。確かにあるようである。それらはほぼほぼ良いことではない。そういうことであれば若いうちに何か起こるなり、起こさないといけないということで、例えばのんきに結婚は30過ぎてからとか阿呆面でのたまう風潮は完全に誤謬である。まあしなくてもそれは個人の勝手だが、全体のそういう風潮はあるでしょ。テレビとかでよく見かけたものだ。それは悪です。そういう意味。
歳くえばもう後はお迎えを待つ時間が途方もなくなるくそ時間のループ。気づけば安吾の死んだ歳にもう直ぐなり、後頭部が安吾ばりに禿げ、もはやスキンヘッドしか選択肢がなくなるという憂き目にあう。煙草は年々値上がりし、嫌煙家には人非人扱いで糞味噌に言われ、そうかと言って奴らは煙草の販売禁止の運動はしないというくそっぷりにも目を瞑り、あとはチャクラの開くのを待つしかない。アーメン。