hamaji junichi

composer saxophonist

「日々《変容の対象》8月」 2

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sewn up 2016-2018 satoshi fukushima

福島さんと再会し、喉が渇いたので近くの簡易カフェに行く。前回会ったのは岐阜県立美術館での発表時だったから結構会っていないことになるんだ、、、とか話し、福島さんの室内楽作品集のremix アルバムを受け取る。sewn-up。

その後前田真二郎さんとも愛知県芸術劇場前で合流し、会場入り。前田さんとは昨年のイアマスでの「日々《変容の対象》8月」の試演以来だ。

 

 

「日々《変容の対象》8月 1

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写真はこれからランダムであげます(すべての撮影は福島諭さん 左から福島さんのお父さん 右からサクソフォニスト木村佳さん。ピアニストの山内敦子さん)

 

2月。朝早く和歌山を出て、名古屋に向かう。ここではあまりマスクをしている人はなく、自分も意識はしていたが家を出る時、すっかり忘却し、電車に乗った時にはまばらではあるけれど、他府県の観光客がマスクをして座席に並んで座っている様子を間近に見てはたと気づいたのだった(当時はまだ乗客の半分ぐらいの率だったから、今の状況を皆が予想もしていなかった時期だった)。ウィリアム・ギブスンの「パターン・レコグニション」を読む。車窓からは馴染みの牧歌的な風景が流れ、海が見え、多くのトンネルを潜る。相変わらず特急「くろしお」は独特の匂いがし、紀伊半島の海岸線のカーブだらけの道程を蛇行して敷かれたレール故の車体の揺れ(昔はもっと揺れた)は、乗り物酔いの人には相変わらずきついだろうと思いながら、年々自分も演奏なり、発表なりの移動がきつくなっているのを感じ、文字を読む光量が足りないトンネルの中ではぼんやりガラスに反射した自分の顔を見ることもなく見て物思いに耽る。新大阪で乗り換え、名古屋に着く。大阪ではさらにマスク姿の率が増し、名古屋に至ってはほぼほぼ着用しているから、マスクをしていない自分はカバンにあったバンダナを口元に三角に折って巻き、偽マスク姿になった。福島諭さんから電話があり、会場近くで落ち合う。マスクを忘れた旨伝えると「僕持ってるから、、、」と1枚くれた。(続く。不定期)

《変容の対象》2020年4月第4−5小節目を福島諭さんから受け取る。

 

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津上研太 小林洋子 無観客有料配信を見る。

 

jazzといえば4ビートのベースランニングとドラムの高速シンバルレガートにある種のカタルシスを感じる。

 

サクソフォンとピアノだけの静謐な対峙はそれとは別に(の領域にあるようにも思う)ある種の濃密な時間をもたらすのは「それ」を知っているものからすれば自明の理であり続ける。

 

津上さんのMCでこの日、lee konitzが数日前に亡くなったと知った。konitzと言えばsubconscious-leeであり、ペトリチアーニとのduoであり、スタンダードの和声進行をそのまま転用、引用し、そこに新たな語法を乗せたトリスターノ門下の輝かしい作品群があって、あのクールネスは中期から晩年には消えてしまったけれど、もう一度聴き返そうと思う。

 

今日は1日家にこもる。ようやく変容の対象2019年の総括文の第1稿を今しがた書いた。すでに福島さんも書いているらしい。

 

数日前からサクソフォンの技法の更新をし始める。

 

本は相変わらずウィリアム・ギブスン「カウント・ゼロ」の再読、「ニューロマンサー」も同時に。ドン・デリーロアンダーワールド」3冊併読、、、この併読癖なおらんかね、、、とも思うがどうしようもない。あまり切実ではないのだろう。自分にとって、、、でも思うという、、、