hamaji junichi

composer saxophonist

音楽的な出会い

音楽的な出会いは私にとって「全て」で、ある。
その瞬間を常に待ち続けていると言っても過言ではない。
mimizさんのライブを高円寺「円盤」さんで拝見して、ライブの際、mimizさんのウェブを福島さん、鈴木さん(本来は3名のメンバーだが、その日はお二人が出演されていた)が告知していたのを頭の片隅に記憶していたのは、その音楽的出会いを常に待っている自らの位置によるものなのか、はっきりとは言い難いが、しかし、その演奏の強度と、何よりstaticでスタイリッシュ、洗練された美意識が張り詰めた空間のそのサウンドスケープと、実際の演奏のシーンが深く心に刻まれていたのは疑いようもないのは、その後ずうずうしくもmimizさんのウェブhttp://mimiz.org/index.phpにその日のライブ音源のアップをリクエストしたことでも納得がゆく。そもそも心を動かされることはあっても、実際にアクションを起こすことはまた別のステップと衝動が必要だ。

その後、そのウェブで音源がアップされ、それと同じくしてshimaf(福島さんのソロ名義)作品とmimizの作品を購入http://bookofdays-shop.com/?mode=srh&cid=&keyword=mimizし、その美意識と審美眼に心酔するにつけ、福島さんにメールをしたのがつい最近のことだ。
その後、メールのやり取りやこのブログにメッセージをいただくなどして、今は音源のやりとりをさせていただくように関係は深化している。

福島さんのプロセッシングと干渉する自分のサックスがどんな作品になるか、静かに待ちたいと思う。

と同時に私の表現の分水嶺になることを期待してやまない。

それは切望しているナニモノかである確信に近い感覚があるのだ。

自分の切望する音像については少しずつここに書きたいと思っています。

音とは何か?

聴くとは?

音から表出される美とフォルムの洗練とは?

音の「美学」がツールの革新によって変容され、コンポジションインプロヴィゼーションの概念が刷新され更新される。

それは必然であるが、それは偶然によって表出する。

その偶然が構造を持つとき、音楽的思考が感覚と婚姻する。