hamaji junichi

composer saxophonist

Amorphous ring I-KUMINAOS-

昨日の夜は福島諭さんの作曲作品「Amorphous ring I」のスコア付属の音源をヘッドフォンで聴いていました。スピーカーでは東京から帰ってすぐ聴きました。スピーカーで聴いたのとはまた違う感触で、まったく別物という感じに聴こえた瞬間もあり、あれはなんだったのだろう、、、と今思いながら書いています。
今日は新たな音源「KUMINAOS」について少し書こうと思います。(私が提供しているのは演奏者として原曲のsoprano saxの演奏のみですので初めて聴きました)原曲を再構築した3曲が付属の音源に追加収録されています。凡庸な表現をすれば、室内楽作品のremixとカテゴライズされるかもしれませんが、私には別の視点が見えます。
福島さんと私がともにサックスとコンピュータの室内楽作品をやろうと決まる前、私の中にはある衝動が確かに胎動していました。それは極めて現代的な手法、または思考法を内包するであろう楽器としてのコンピュータ、エレクトロニクスとサックスの作品、もしくは演奏ができないだろうか、、、だったと記憶しています。例えば楽器が変われば音楽が飛躍的に変わることは歴史が証明しています。ならばそれを人知れず密やかであってもそれを共有できる演奏家が居て、楽器の(サックス)の言語にも理解を示し、コンピュータ、エレクトロニクスの言語にも精通している場合、そしてその行為にある到達の指標が見えるような、そんな人が居るならば何か出来るのではないだろか、、、そんな夢想でした。
幸福なことに、福島さんと出会い、今に至りますが、作品を重ねるにつれ少しずつ新たな言語を獲得しているような気がします。それは何も音楽的言語だけではありません。その発表の形態にも影響を及ぼします。そのひとつとして私の作品には近年様々なヴァージョンが存在するのが普通ですが、その動機として中心にサックスとコンピュータの室内楽のヴァージョンがあり、それなくしては他のヴァージョンもあるいは存在しないやもしれない程重要です。
KUMINAOSというAmorphous ring Iの別ヴァージョンの存在はそういった視点も内包しているように捉えました。それは私の思い込みに過ぎません。しかし、その思い込みや誤解がある理解の重要な鍵を握っている場合もあります。
作品の提出の「仕方」自体も「作品」ではないでしょうか。




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