hamaji junichi

composer saxophonist

今月の「変容の対象」6日に福島さんから動機を受け取り、早、今日は11日。
何も書けないでいるが、容易な方向にはいくべきでないのでもう少し時間をかけたいと思う。「容易な方向にいくべきではない」ということのみ、、、がわかっているだけで、あとは何のあてもない。どれほど時間を要するのかも今のところまったくわからない。

この世はポピュリズムにどうして急激に振れていくのか。私だけの錯覚か?
どの領域?その対象は?と近しい人たちには聞かれそうだが、ここでは書く気は当然ない。
関西弁に「しらこい」という言葉があるが、まあ、「しらじらしい」の意に近いが、もっと侮蔑を含んでいる言葉があって、その気配が満ち満ちている。

今は精神的に、人に会うのがとても嫌なので、一人で暮らしている。暮らす?過ごす?
とは言ってもここではごく限られた人たちとしか交流がなく、その限られた人たちは大好きな人たちだが、それでも一人が良い。ちょっと顔が見たいな、、、などとは本来思わない。それは昔からそうだ。

今日は「第9地区」を観に映画館に行き、帰りにジャンク・フードを買って帰り、腹満になって突き出た腹に悪態をつき(ウソ)、、、勿論一人で。

村上春樹1Q84」のbook1を読み終わる。夜中はブーレーズを聴きながら、時にはそれを止め、この本を読んでいる。今はbook2。この本、バカ売れでニュースでも度々その売れ方が取り上げられていたが、これを嬉々として買った人は充分満足できたのだろうなという強度。素晴らしいのは速度と、その文章の背後に流れている緊張、思考の密度と痕跡。それに登場人物がとても魅力的でうそがない感じ。読みながら、どこかの書評でこれがこれほど多くの人に受け入れられているは驚きで、内容も一般的ではない云々、、、と書かれていたのを思い出したが
全然である。首を傾げる。村上春樹を読むのは2作目。村上氏はジャズ愛好家(あってるかな)ときいたことがあるし、音楽を愛しているのもその作品からにじみ出ている。登場人物にちょっとしたことを言わせる。それを知っているものなら必ずにやっとする文章を。

一人で居るには居るが、作品に関してはいろいろな動きがあって、福島諭さんとは様々なやりとりをさせてもらっている。新たな動きでここに書けるのは、「layered music op.1 」のサックス、ピアノverをポスト・セッション方式(mimiZのセッション方式のひとつ)で作品にとリクエストしていたものが、2ver送られてきた。そのどちらもが素晴らしく、新たな局面をもたらすものだと思っていて、最初聴いたときは2番目のverがとても素晴らしく、処理にも斬新さが加えられているような気がして福島さんも、良い感触だったそうだが、1番目のverは全体の印象の派手さ(安易過ぎる形容で嫌になるが)は2番目のverよりは幾分抑えられているが、その抑制が後から効いてくる作品になっている。もとは同じlayered music op.1の第1楽章だが、それぞれが自立した印象をもっていて、福島さんの処理がクリアだ。そのクリアさは圧倒的といっても良い。福島さんとはこういった手法の開拓を共通のエンジンとして機能させて作品に反映させていきたい。それが可能だからだ。

これに関しての福島さんの記述
http://www.mimiz.org/index.php?ID=407




今は午前2時過ぎ。