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村上春樹「スプートニクの恋人」を読みはじめる。現代の日本文学の巨人故にこれまで読んでこなかった。理由は有名すぎるから。この傾向は自身多分にあって、その昔、マイルスを聴かなかったり、阿呆まるだしである。ネフェルティティーやマイルス・スマイルなどの黄金のクインテット4部作なんか聴かなかったら相当損をしている。文学という領域や、ジャズ、クラシック、現代音楽の領域で有名すぎるという理由で経験しないのはとても損をすることになる。人生において。それはひとえに高度な技術を要するものだから。ただ、一般的に有名すぎるものというのはほとんど私にとっては価値は無い。
日本文学の私にとっての神は埴谷雄高と安部公房。安部公房はその「ポップさ」が神がかっているので腹をみせた犬のように心理的に服従しているくらい大切な作家である。
スプートニクの恋人は、フランス映画だったか、、、の1シーンに登場人物が読むシーンがあって、刺激されて買っていた。
スプートニクとビートニク。文中にも言葉の響きの類似性を書いた箇所があったが、ビートニクといえば、バロウズ。ギンズバーグ、ケルアックも読んだが、やはりバロウズである。しかし、なんのこっちゃわからず読んだまま、イメージだけが肥大していって、文学的ヒーローになる稀有な存在でもある。
ビートニクはサックスを金属製の男根とメタしたという。たしかに形状は男根であるな、サックスは。と思った。洒落がきいてる。
ニーチェが思索は創造的活動であると。哲学書の一節に書かれていて、ふむふむ。
なんのこっちゃわからぬ文である。