hamaji junichi

composer saxophonist

オンド・マルトノ。「題名のない音楽会」で絶滅危惧楽器として今日取り上げられていた。メシアン「トゥーランガリア」の一節が演奏される。たまにはメシアンぐらい放送したらどうなのよ、と潜在的にずっと思い続けているから、ちょっとちゃかしたような内容(楽器に対してね)でもまあ、良いと思った。メシアンに限らず、モートン・フェルドマンリゲティジョン・ケージ、ペンデレツキ、ジョン・アダムスとか、現代音楽の巨匠と呼ばれる作品ぐらいはたまに見かける、、、といったような世界であればとても美しいのに、、、と思うが、バルトークドビュッシースクリャービンすらなかなか番組で見ることはないし、マスメディアと呼ばれるぐらい最大公約数的な、、、つまり、商売になるかどうかが最大の問題であるメディアにそれを期待するのはそもそも間違いだと言われているような内容に、、、ポップスを音楽の全てと言われているような雰囲気とでもいうか、、、はっきり言って美しくないと思うのですが、どうでしょうか。音程もきちんととれない歌手が感情込めて歌うラヴソングにきゃっきゃ言うのも世界であるなら、高度な音韻構造をもった作品にも光をあてる世界。どちらも音楽と言われているものの情報であるのですが、その作品レヴェルは天と地ほどの差があるという認識はほとんど情報に乗らないという一種のファシズムに似た現象はどう贔屓目に見ても悲惨だと思うのです。しかしながら世界は常に金を持っているものの側に優しいのです。だからその金を生み出す駒を生産すべく、音楽もその金を生み出す動機になるような(やさしい)ものが「音楽」と呼ばれるということになるのでしょうが、誠実な聴衆は確かに居て、その最大公約数的「世界」を見ているというのも事実であると、、、