hamaji junichi

composer saxophonist

フィクションという名の

私は今、坊主頭である。作曲家福島諭さんの結婚式あたりにはトルーマン・カポーティを意識して髪を伸ばしてブリーチし、ウェットにし、黒縁眼鏡をかけ、颯爽と風を切って新潟に行ったものだが、安吾の碑の近くで「私は海を抱きしめていたい」と絶叫したい気分で「風と光」のもとで祝宴を見守っていたのが、ついこの間のようで、、、今は、、、というと先日福島諭作曲作品「florigen unit」のリハーサル音源を聴くとき、ヘッドフォンを装着し、PCのディスプレイが暗転した際、鏡状になったディスプレイに映っているのは映画「善き人のためのソナタ」のあの主人公のおっさんそっくりの風貌であり、ため息をつき、あの映画にはそういえば「マーサの幸せレシピ」の女優さんが出ていたのではなかったか、、、と今思い出し、先ほどは歯医者に行き、奥歯の治療をすませ、コンビニで久しぶりに雑誌を読み、テレビを見なくなっても驚くほど、なんの支障もないのと同様に雑誌を見るのもまったくつまらないことだったのだな、、、と再認識し、人を刺激し煽りまくりたい意思が嫌味なほど見える芸能人のゴシップやグラビアなんかも、テレビ発信の情報を共有していることが前提で掲載されているのが、テレビを見ないことによって鮮明に見えるなんて、、、と思い、、、支払いをすませ、カスみたいな財布の中身に悪態をつき、そうして家に帰り、譜面をこれから取り出しサックスを吹こうと思う。ひとつかふたつ、必ず録音しなければならないものがあり、ひとつは「埋没する3つのbluesに捧げるcondenced music」の為のもの、ひとつはサクソフォン・ソロ。人前で演奏することは今はとても考えられないけれど、譜面を書き、録音する意欲だけはあり、それが終わればまた何か始まるのではないか、、、いや、始まらなくても良いが、安息さえ手に入れば充分なのではないか、、、と思い、you tubeで新進作曲家の音楽を聴き、それらにリンクされている現代曲を聴き、面白いと思って注目しだしたブログが1週間も放置されていてちょっとイラっとし、自分のことばかり書き連ねているブログのブックマークをはずし、仲間うちできゃっきゃ言うてる見ず知らずのtwitterを見て、さらにイラっとし、小川洋子の小説の表現にうっとりしたことを思い出し、PCを閉じ、譜面を開く。



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夕刻、福島さんとskypeで話す。
ゆっくり話すことが出来、良かった。背後で食器を洗う音が微かに聞こえ、夕刻に訪れる静かな家庭の情景がその音からしのばれて、それぞれの時間がそこに確かな輪郭をもって在るのをなんとなく感じながら過ぎていった。


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「変容の対象」を受け取る。夜中。そのまま書く。朝に確認し、良ければ送ろう。


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声のでかい奴が本来そこに在るべき多様性を一色に塗りつぶす。批評の世界だけではなく、案外世界は、、、