hamaji junichi

composer saxophonist

早朝。「分断する旋律のむこうに浮かぶオフィーリアの肖像。その死に顔」(hommage bach)譜面清書。

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孤独に歩め…悪をなさず 求めるところは少なく…林の中の象のように

仏陀の言葉だそうだ。


押井守監督作品「イノセンス」をヘッドフォンで音に注意をはらいながら観た。人はほんの数メートル離れた距離であっても音声情報の認識に不具合を生じる。

何度観たか忘れるほどだが、やっぱり見入ってしまった。鉄板の名作。

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譜面を書いていて、「この言い知れぬ無力感は何だ、、、」とふと頭をよぎった。ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフ、スヴィドリガイロフにあてられた訳でもあるまいが、、、いや、充分あてられているか、、、自身の「傲慢」はいったいどこにいったのだとも思った。「傲慢」は美徳ではないが、完全な悪徳であろうか、、、その「傲慢」は無知からくる根拠のないものだとしても、立脚点を少しずらせば人生を謳歌する原動力にすら成り得る。それは反証として常に過去を顧みる時に於いて機能するものだろうけれど、失ってみて、もう、そんなものは無いのだと思い知らされた時、果たして、、、みたいなこともよぎり、力なく微笑するとき、、、と書きかけて、あまりに芝居じみている、、、と思い、ままよ、せいっ!とこの心象をどこかに還元する手は無いものか、、、とあたりをじろじろ見るがどこにもそんなものは無く、結局思考停止するしかなくなる。

ところで、「罪と罰」に於ける女性の重要な機能はソーニャは勿論のこと、ドゥーニャはスヴィドリガイロフにトドメを刺す存在で、ともにある種の高みにあり、それも特別な美をたたえ、それをもって支配たらしめている。彼女たちはそれぞれの「世界」そのものなのである。