hamaji junichi

composer saxophonist

「変容の対象」2013・3月12−13−14小節目

昨日。夜に福島諭さんより「変容の対象」2013・3月12−13小節目を受け取る。


**

その前、午後に少しクラリネット奏者の櫻田はるかさんから紹介してもらったピアノの方と会う。先日の福島諭作曲作品「BUNDLE IMPACTOR」初演の折、会場に来られていた櫻田さんの友人である。その方も東京に発表に来られていて、モーツァルトを演奏されたらしい。櫻田さんが僕が和歌山に住んでいて、その友人の方も和歌山出身なので紹介しますと言ってくれて、その時は東京に在住されているとばかり思っていたのだけれど、実は車で少し行けば会える距離に今お住まいだと知った。現代音楽の発表の場で和歌山の方と会うなんてあんた、超びっくりですがな。ほんで連絡先を交換したのである。櫻田さんと同じく国立音大を高校かららしく、和歌山に住んでいて高校から音楽学校に行くなんて凄いな〜と思っていた。なにせ環境がそんな発想をゆるさない、、、ように少なくとも私なんかは思うのでそれだけで尊敬に値するのだけれど、まあ、連絡先を交換すると言ってもそこは機会があれば、、、とおぼろげに思っていただけなのであるが、先方からよければ話が聞きたいとのこと。「いや、私ごときがなんもお話することなどないのですけれど、、、」と遠慮ぎみに答えたのであったが、まあ、そこは音楽の話なのでお会いすることになった。

 音楽の話と言っても様々な階層があります。演奏するものとしての膨大な時間を犠牲にし、それを通過した故に互いが話せること、、、(幾分壮大な物言いに聞こえるかもしれないが、こっちは大真面目である)その様々な音楽についての言及はやはり私にとっては得難いものであり、こっちに住んでるとですな、、、もう、それはそれは絶望的なので、こわいくらいなんも起こらんのです、、、有意義な時間でありました。音楽の魔に魅入られ、跪いてそれを捧げるみたいな心象を多くは語らずともわかる。みたいな話はそりゃ〜なかなかできません。音楽家が多く住んでいてそれで日常のいち風景として会って何気なく話すような環境にいたらそんな渇望感は知覚しないやもしれませんが、私も、そして彼女もそういった渇きはあって、そういうことも話したように思います。私にもほんとに少ないけれどそういった対話ができる音楽家が遠方には居て、会ったり、メールしたりしてその渇きをその時だけは忘れる事ができるので、それで満足ではないか、多くを望むな、、、と思うようなこともありますから昨日はとても意義深かったです。

 音楽家同士はちょっと普通の距離感ではないところに居るように思うのですが、勿論朋友福島さんのような特別な関係性を構築できるのはそのなかでも稀で、でもその導線の中には皆、出会う方々は居るように思うのです。だからすぐに距離を超越することも可能なのだと思ったりします。親しみというよりは近しく感じると言ったほうが良いような関係性です。



**

今日午前に13−14小節目を送った。


**

ところで、歯が痛む。悶絶である。なんで土日はお医者はやっておらぬ。痛みに休日など関係なかろう。とこんな時だけ思う。勝手なもんである。左目が慢性的にすぐに疲れ痛み、それにともなって肩もこるのも関係しているのか。虫歯ではなく、歯茎の炎症である。多分。歯は丈夫な方でそんなに治療を受けないでいた。おっさんというかもう老人である。太宰の「逆行」の主人公のように猛烈に若くしかし老いを感じているような、老成を装うような文学的感傷はそりゃかっこええかもしれんが、実際老いまくったらそんなもん吹っ飛んでしまうよ。何もかも老いるというのは「死」というものに突き進んでいって時限を知らされているようなものだから思考様式にも変化が必然起こる。枝が今まで行かない方にまで行くし、対人関係においてももう、新たに普通の関係性など必要とはしない。ようは孤独に歩め…悪をなさず 求めるところは少なく…林の中の象のように、、、である。そこで痛む歯に恨み節を吐きながら頭のなかでぐるぐるまわるのはペルゴレージスターバト・マーテル「肉体が死に滅びる時」映画「アマデウス」のサントラに収録されていた少年合唱団のえも言われぬ美しい演奏である。アーメン。
http://www.youtube.com/watch?v=-65A8UFME1w