hamaji junichi

composer saxophonist

「変容の対象」2013・10月第15−16−17小節目

「変容の対象」2013・10月第15−16小節目を福島諭さんから受け取る。
http://mimiz.org/index.php?ID=1017

朝。福島さんは今日の夜から韓国に移動する。新作《patrinia yellow》...コンピュータとクラリネット室内楽作品...の初演の為に。

http://www.computermusic.or.kr/


そういう日程的なことを加味して前回fineを想定したわけではなかったのだけれど、一応fineの感触が得られた段階にきていたと判断して福島さんにお伝えしていた。

15小節目、4分の1拍子。(濱地指定)

16小節目、4分の2拍子。(福島さん指定)

確認すると、15小節目でfineにはなっていなかった。

「なるほど、、、そうすると、書かなければなりません」

ある種の身体的反射にも似た反応で16−17小節目を書いた。4分の3拍子。

こういった反射、、、譜面を受け取り、十数分で返答を終える、、、みたいな速度を付帯する反応は「変容の対象」という作曲行為において、稀に起こるが、演奏行為の疑似体験にも似ている。頭のなかで旋律がビュンビュンと流れる。フィンガリングの残像。

16−17小節目を送る。


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映画「ファイトクラブ」を見る。映像の進行、そしてダイアローグ、モノローグの有り様がアメリカ文学ポストモダンを通過した文脈を強く感じるものだ。後で調べると原作はジェネレーションXの代表的な作家のものと知る。チャック・パラニューク。公開時に見た時にはそれは感じられなかった、、、のはビートニク以外のアメリカ文学をほとんど読んでいなかったからで、ピンチョン、バース、バーセルミ、そしてデリーロなんかを読んでいると
その後のX世代の作家を読んでいなくても、その文脈の匂い、あるいは構造が透けて見える感じが、、、映像を見ると、なんとなく匂いたち、「ぴったりとくる」。その感じは読んだから、、、であり、そういう文脈の捉え方というものは、、、ドストエフスキーからナボコフ、そしてピンチョン、、、みたいに勝手に内部で結びついて「概念」となり、映画を見て、こんなフィードバックを起こしたりする。それで、「ファイトクラブ」の原作を読みたいと思い、、、残念なことに絶版。なんでやねん、、、ということになる。

ファイト・クラブ (ハヤカワ文庫NV)

ファイト・クラブ (ハヤカワ文庫NV)