hamaji junichi

composer saxophonist

「変容の対象」2013・11月第1−2小節目

「変容の対象」2013・11月第1小節目を福島諭さんより受け取る。

http://mimiz.org/index.php?ID=1023

冒頭文は「for T」

反射的には例えばカフカとか、安部公房などを連想するが、それはこっちの背景によるもので、福島さんの意図するのは、、、僕は一人しか浮かばないが、、、兎に角書く事にする。

今月末には変容2012年度版の初演のため、月末の怒濤の応酬(譜面のやりとり)は実際不可能なので幾分ゆるされた時間は少ない。そうだからといってどうなるものでもないわけだが、少しは過る。それがどう作品に反映されるかはわからないが、こういうものも間接的にせよ干渉するものだとはお互い知っている。

前段の福島さんの記述(リンク)には今月末の新潟での「変容の対象」2012年度版(抜粋)の初演のフライヤーがあげられている。ご覧いただければと思います。

変容の2012年度版の確認作業と12月1日の福島さんとのスタジオでの録音のために最近は忙殺とまではいかないけれど時間をかけている。

福島さんのサクソフォンソロ曲「双晶」(仮題)は主旋律がほぼ全てフラジオで埋め尽くされているセクションが大きくわけて3つあり、こういう組織はまずサックスを吹く者としては書かない。実際に吹く感覚なり、経験則(ここが大きい)なりに知らず知らず支配されていて、例えば僕の書く「変容の対象」にはフラジオがやたら多く採用されているが、それはプレイヤーヴィジョンというか、旋律に1音、2音、数音、、、交ざるような言うなれば凡庸な採用の仕方であり、「双晶」の組織を毎日追うと、「当然こう書かれてあるものがあって然るべきであるのに、、、」と思わずにはいられなくなったりする。目線を変えて、実際吹くことにうつすと、これは困難にも程がある程のものであるけれど、その困難さはある示唆を纏い、映る。スタジオでは「双晶」も吹く。

他には「contempt」のアルトサックスver.

そして僕らのあいだでは単に「オフィーリア」と呼ばれている新作。このオフィーリアは前に書いて一度仮の録音までして、当時福島さんと石井さんに勢いこんで郵送した(今は後悔している出来のもので同録の「elder」なんかひどい有様である。ほんとにひどい。)ものを、書き換えてまったく別の組織に展開したもので、そのおおもとの譜面から今の譜面に変換している行程も含めての作品でもある。まったく別物としか思えないものが同じ「概念」をもっている。

「The portrait of Ophelia who appears for turning to the melody to divide.

It is a face to the death.」for alto saxophone and computer


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変容の対象2013・11月第1−2小節目を福島さんに送った。