hamaji junichi

composer saxophonist

ここ最近見た2つの映画で、登場人物が共通する画家の名前を語る「ロスコ」、、、マーク・ロスコ。一つは「コズモポリス」ひとつは「ステイ」。前者は原作のデリーロが書いているから知っていて見たが、「ステイ」の方はなんとなく借りて見ていたらナオミ・ワッツ演じるライラが「誰もがロスコになれるわけじゃない、、、」だったか、、、全然正確ではないだろうけれどそんなことを言い、ステイは映像処理も新しく感じながら見たが、、、登場人物に「ロスコ」と言わせたいと思わせる「何か」のこと、、、(中断)

ロスコと言えば僕なんかmorton feldmanの「ロスコ・チャペル」を瞬時に想起するわけで、ロスコという画家には思い入れはそれほどなくても(実際あまり知らない。絵は知ってる程度。)以前からその名前は別の方角から知っているわけで、符号というもの、その一致みたいな(今回のことのように)短い時間で、その名前に遭遇する、、、というような出来事はなかなか暗示的だと思わなくもなく、それで、feldmanの「ロスコ・チャペル」を聴き、その流れで「Piano And String Quartet」を聴き、、、(中断)

符号といえばミステリーに登場する様々な仕掛けの如く。最近翻訳物をずっと読んでいるので、もとから日本語で書かれたものを読みたくなり、それも軽いというか読みやすいものとなるとミステリー小説が良いと思い、1冊読んで、面白いので2冊目を開いたところである。もとから日本語で書かれたものは翻訳物ほど流れを遮られることなく読めるのは、それは「そういうこと」なんだろうけれど、例えばドストエフスキーを原文で読めたら、、、とか、ピンチョンなんかは原文で読まないとそもそも、、、とか思ってもそんな時間など今さら持てない。



遅きに失する。

ほぼ全ての事象において、、、

そういうこと。


///////

今月末から新潟に初演に行くのでちょっとましな服装をと思い、デニムを買ったのだけれど、母や祖母にはまったく理解できないらしく、「これ新しいの?」と私の張り切った心を木っ端みじん。結構激しいダメージとリメイクを施したデニムなので、ボロを纏ったように思うのだろう。見る者が違うとその価値は変幻する。これもそういうこと。ちゃんちゃん。