hamaji junichi

composer saxophonist

「変容の対象」2013・12月4−5小節目

「変容の対象」2013・12月4−5小節目を書いていた。昨日は疲れ果て、寝る。譜面を見ても「ああ、今日は駄目だ、、、」と感じて少しそこに留まっている気配だけ記憶してベッドに倒れ込むようにして入った。ここ数日、そう、新潟から帰った後はいつもの、もう記憶には何時から始めたのかまったく思い出せないほどの習慣である本を開かずに眠るようにしている。いつもその時間は楽しみというか、およそ楽しみのない生活のなかで昨日の物語の余韻を眠る前に思い出し、「さて、今日は、、、」と、ページを繰るのが楽しいと言えば楽しい唯一のものであったようにも思う。その習慣をやめて眠るようになって、何がどう変わったのかはわからないが、兎に角、ベッドに入って1時間、なんなら2、3時間本を読み、気付いたら外が白み始めているみたいなことはなくなり、目覚めのあの、不快極まりない感じは幾分和らいだようにも思えるが、はて、そうなのだろうか、、、。

今月の「変容の対象」は今年の最後の作品であり、新潟から帰ってすぐに自分が第1小節目を書く担当の月なのでどういった動機が良いのか数日考えていた。例えばかの地でピアニストの石井朋子さんの素晴らしく凄まじい演奏でババジャニアンのものごっつい、えげつない作品を聴いたからその体験を引用してその作品に使われている技法である12音技法を使った動機とか、もしくは新潟で福島さんと録音でスタジオに入った時に考えていったものの亜種とか、そんな、なんというかある関連づけを含んだ動機みたいなものを少しは考えていたのだけれど、結局、啓示めいて出て来たのは新潟入りから和歌山に帰るまで読んでいたドン・デリーロ「ボディ・アーティスト」の最初の章を読んだ印象から得たもので、(最近のここで良くデリーロ、デリーロとしつこいぐらい連呼しているので僕の数少ない友人、知人は「デリーロ、デリーロってうっさいの〜」と思われているかもしれないけれど、ええもんはええのよ。)それは自身の練習を終え、夕刻を過ぎて冬の早い夜のはじまりに脳に去来し、サックスを手にとって吹いたものを採用した。普段変容〜を書く時はサックスをもって書くということはほぼ無い。おそらく1年のうち、1、2回ぐらいだろうか。変容には今まで無かったような印象の動機で、福島さんの1小節目のピアノの音が書き加えられてさらにその印象が強くなった。さらに、今月の僕の冒頭文の影響もあるのだろうが、今5小節目まで進んでいるが、3小節目から楽想は歪み、別の場にシフトしているようにも感じられ、また、今書いた4、5小節目もまた歪んで別の場にシフトしているようにも見える。(中断)

他に書くものがたまっているので、短めにと思っていたがついつい書いてしまったので、ここらで。


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「変容の対象」2013・12月4−5小節目を福島諭さんに送る。