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ある店の音楽でeric dolphyのアルトが聴こえた。曲名はその時思い出せなかった。テーマは昔dolphyのアルバムで聴いたような2管のロングノートアンサンブル。テナーとの共演はそう多くないから帰って調べてみた。最早dolphyでさえバックグラウンドミュージックでかかり、誰の音楽とさえ認識されずただ流れている。実際一発でわかるあのサウンドは雛形はれっきとしたbebopのそれだ。charlie parkerの驚異的正確さの音の粒。dolphyはそれをさらに高速で吹き、音域の拡張を施している。高速故フレーズはところどころ粒がparkerのそれよりもそれぞれが明瞭ではない部分も多く聴こえる。そこがフリージャズとしてのdolphyの印象に大きく加担しているが、本人はおそらくフリージャズをやっているとは思っていない。フレーズを聴けばわかる。
「Status Seeking」だった。
Mal Waldronのアルバム。
この曲はdolphyのアルバムhere and thereでも別のライヴテイクが聴ける。
久しぶりにdolphyを聴きたくなった。そういう話。
同時にクラシックのサックスの映像なんかをいくつか見て考えてしまう。で、またdolphyを聴く。
dolphyの言葉に
「音楽というのは一度奏でられると、空気の中に消えてゆき、二度と取り戻すことはできない」
というのがある。
ひとつの真理ではある。
一方、多和田葉子著「変身のためのオピウム」
借りて読んだ本なので、まったくうろ覚えも甚だしいが、こういう感じの文章だった。
「一度うまれた音楽はいったいどこに行ってしまったのだろう。消えるわけがないのに」
際立って美しい言葉として。
「silent」は「listen」のアナグラム
どこかのブログでBBCの放送でそう紹介があったそうだ。
腑に落ちる。