hamaji junichi

composer saxophonist

《変容の対象》2016・12月1小節目

昨日。《変容の対象》2016・12月1小節目を福島諭さんから受け取る。

こういった楽想は自分からは絶対に出てこないであろう動機がそこに記されてある。
変容の変容たる一側面である。

一旦考えをまとめる、、、というより、いくつか方向性のアタリをつけるために時間を少しかけないと書けそうにないのでちょっと時間をもらおうと思う。

先月の変容は最終日にfine。それから福島さんのブログを読んだ(music after tomorrowの作曲家、安野太郎さんとの対話は非常に興味深く読んだ。皆読むべきだと思う)

http://mimiz.org/index.php?ID=1395


次の日の 11月25、26日の記事も。

http://mimiz.org/index.php?ID=1396


さて、夏の終わりからあれほど耽溺していた文学を全く読めなくなり、どうかしてしまったのだ。と思ってはいたが、ようやく何か読む気になってきたので、ジッドの「背徳者」を読んでいる。かの石川淳訳であり、倉庫から引っ張り出してきたもので、再読のはずだが内容は一切忘れている。多分20数年前、30年近く前に買ったものだ。ようやく面白く本が読めるようになってきた。もう一冊はサド侯爵の本。これも面白い。

映画gantz oのレイカ、山咲杏のあの見事な造形は誰がデザインしたのだろう。画像などで見ても惚れ惚れする美しさである。映画は全く名作で鉄板。恐ろしく素晴らしいものだった。杏は超かわいい。全く参るよ。実際に存在しない女性がアイコンとなるのは文学の登場人物でも馴染みがあるが、ジッドの「背徳者」の主人公の細君も女性の美しさの側面を鮮やかに切り取っているような存在であり、そういえばヘミングウェイの「武器よさらば」のヒロインも全くもって美しい存在である。


信号待ちでふと思った。金儲けは手段であったはずのものがそれ自体が目的に転化して、それに人生をかけるような人々を生んだわけだが、そんなクソみたいな人生でなくてよかったと思った。長く生きていると若い時はそのような欲望、あるいは願望もないではなかったし、それが一つの成功者という認識をいつの間にかコモンセンスとしてなんとなく自分でさえ、持っていたけれど、歳をとればそんなものは本当にただのクズでしかないと本気で思うようになり、ああ、私には音楽があってよかったと思う。