hamaji junichi

composer saxophonist

《変容の対象》2019年4月第1小節目を福島諭さんに送る。

 

なかなか時間が取れず、今回の動機は少しずつ書いていった。

 

小説を読んでもすぐにつまらなく思ってしまい本を閉じる。漫画の方が没入できるのは何故だ。目の状態が日によって違う。文字を追うのが億劫だと感じる。

 

変容の総括文はあとは後記を残すのみで止まっている。こんなに遅れるのは初めてだ。

文字を追うのが億劫になったことと関係があるのだろううか。

 

 

《変容の対象》2019年3月第12−13小節目を福島諭さんから受け取る。

13ー14小節目を書き送る。

 

疲労困憊。くたくたであるが時間もないので反証を行うことなく書き進める。迷いというよりは自身のうちにある微かな猜疑がよぎるが送った。その猜疑も実は身を伴っていないほど空であり、それほどくたくたである。

 

《変容の対象》2019年3月第6−7小節目を福島諭さんから受け取る。

7−8小節目を書き送る。

 

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浅はかな、呆れるほど浅はかな人がいるんだなぁ。ええ歳こいた大人で。最早ギャグである。

 

《変容の対象》2019年3月第3−4小節目を福島諭さんから受け取る。

4−5小節目を書き送る。

 

気付けばもう20日も過ぎた。

精神的にイラつく時期もあったが時間は忘却を連れてくるというのはうまくできてはいる。

おおよそ得体の知れないのは人間であり、その摩擦も人対人によって起こる。面倒である。生活というのは。

そういうことに囚われるといけない。なので忘れる。

 

貧すれば鈍す。その貧すれば、、、は、そういうことも含まれ、なので厭世の甘い誘惑に耽溺しようとするのだろうか。

 

今月の変容は書こうとしていたものに全くなっていない。良い意味でだ。全く想定外のことを書き始めた。良いこともなければやってられんよ。

《変容の対象》2019年3月第2−3小節目を福島諭さんから受け取る。

3−4小節目を書き送る。

 

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寝る前は毎晩オーネット・コールマン ハワード・ショア「naked lunch」を3ヶ月間聴き続けた。取り憑かれる時期がある。

 

取り憑かれた時期が過ぎ、ピエール・ブーレーズのbox setを引っ張り出し聴き始める。10枚組だったか。先は長い。何せ1枚を幾晩も聴き続けるのだから。

 

変容の対象2018年の総括文は一通り書き終え、ようやく最後のまとめの章を書く段になった。福島さんにはお待たせして申し訳ないが諸々の事情は話してわかっていてもらっているからもう少し時間をもらおうと思う。

 

数日寒い日が続くがそろそろ春になる。冬の途中からアーミー系の服などが気になってターガーカモのロングスリーブシャツ、jungle stock系とかそういうものなど着るだろう。m−65なども久々に着続けている。カーゴパンツも昔は黒とか、ウッドランドカモとかしか履かなかったが、オリーブドラヴとかのカラーの方が今の気分で、ファッションとかいうものは刹那的で一時の気分がおおいに作用されるものだろうから気の迷いそのものかもしれない。そういう移ろい、忘れ去られるものの楽しみはあって、しかし音楽はそういうものが産業の中に取り込まれ現象として見えているものは僕にとっては必要なく、ブーレーズのようなイマジネーションの深淵に触れさせてくれるものだけが必要で、何やらアンビバレントな存在を自身の内に感じたりするが、やはり当然のようにファッションと音楽は全く別で前者は生活であり、後者は何やら得体の知れない「魔」の発露である気がしてそれにヤラレテいるのだから最早どうしようもないのだ。アーミー系と言えば例えばヘアーサロンの女性たちとか、それに似合うようにあえて髪をショートカットにして、、、とかネットで見たような気がする。例えばwtapsとかのbuds lsなんか着て超かわいい写真がネットに転がっているが、なるほどとは思う。一体何が言いたいんだ。という話。