hamaji junichi

composer saxophonist

「埋没する3つのbluesに捧げるコンデンス・ミュージック」

福島諭さんに音源を送った。届いたようで、内容を確認してもらっている。

http://mimiz.org/index.php?ID=656

福島さんのマスター・ワークスのひとつmimiZhttp://mimiz.org/about.php

にはポスト・セッションと呼ばれる演奏形態、表現手段がある。その名のとおり、ポストに投函された音源を、演奏会場にいるメンバー(1例として、mimiZは本来3人のメンバーからなるが、なんらかの事情により誰かが欠けた状態にあると想像してください)がそのポストに投函された音源を受け取り、その場で開封し、会場の2者と不在者の音源とのセッションがはじまる、、、
 それを可能ならしめているのはひとつには3者の相互理解によるものだろうし、その相互理解という「想定」を反転することも含めその創作衝動のエンジンとしていると想像する。その「想定」はあるいは、3者の長い共同作業から得られたそれぞれの言葉としてとらえることがあるいは困難な(音楽的)思想の結節点、会話のフラグメントから蓄積されたある「時間」認識の集積されたトポスかもしれないと僕は想像したりするが、結局は本人たちにしかわからない「何か」が強烈に機能していることはクリアすぎるほどクリアに伺えるものだ。

で、僕と福島さんは和歌山と新潟という物理的などうしようもない距離の制約を受け続けているわけだが、ひとつには譜面という伝達手段があり、その他の意思の疎通もその譜面を中心軸に僕たち固有のやりとりによって今まで複数の作品を発表してきた。今回の「埋没する3つのbluesに捧げるコンデンス・ミュージック」の最初の発案もあたりまえだが和歌山で発案され、新潟に伝達していることになる。そういった創作のプロセスにおいて、mimiZのポスト・セッションの1例を読んでいただければご理解いただけるように、実は物理的距離はそれほど問題ではないという経験則から出発しているし、その経験則、言い換えれば前記の「想定」は当然僕と福島さんとの関係においても別の視点からではあるが機能しているわけで、それらはゆるやかに繋がっていて、機能し干渉することを可能にもしている。それはつまり可能性の示唆としていつでもそこにとり取り出せると、、、