「埋没する3つのbluesに捧げるコンデンス・ミュージック」その1
「埋没する3つのbluesに捧げるコンデンス・ミュージック」ー言語から生まれる音楽の領域ー
昨日、福島諭さんから我々の新作「埋没する3つのbluesに捧げるコンデンス・ミュージック」のテスト録音が送られてきた。
T−1 埋没テスト 110831−3
T−2 埋没テスト 110901−0
T−3 埋没テスト 110901−4
T−4 埋没テスト 110901−5
T−5 prelude(with computer processing)110902−4
「埋没する〜」は僕からの提案で始まった。福島さんには大まかな想定とメモ、それに電話での会話で概要を伝えた。そしてそれらが集約されたものが「埋没する3つのbluesに捧げるコンデンス・ミュージック」という題名にありますと。
実際、この作品に込められた思想はこの題名以上でもないし、以下でもない。「音楽」は言語化するのが困難な領域のものであるけれど、では逆に言語が音楽に与える領域はあるか。
*埋没する
*3つのblues
*に捧げる
*コンデンス・ミュージック
言語ファクターに分けるとこうなる。
*「埋没する」は文字通り埋没する「音群」を示唆している。
*「3つのblues」は私が選んだjazz masterの3つのbluesのsoloを模倣し、録音した。無伴奏のjazz blues3つのトラックからなる音源が存在する。これらが音の素材となる。
*「に捧げる」この言葉は唯一含みのある文節で、聴く側の解釈の余地が多くふくまれる。その分広がりもあり、前後の文節に干渉する言葉でもあり、イメージを誘発するだろうから限定は不可能だが、それぞれが有する「捧げる」という言葉がもつイメージがあれば良い。
*「コンデンス・ミュージック」つまり濃縮音楽の意であり、小説にはコンデンス・ノヴェルというものがあるが、それを引用した他、濃縮された音群を示唆している。
この作品はライヴ演奏を想定した作品ではなく、「録音物作品」というのも今までの我々の作品とは位置付けが異なる。(限定で発表した「fatal overture」という録音物作品は存在するが、あれはイレギュラーな作品だ)
福島さんから送られてきた音源にはー言語から生まれる音楽の領域ーが確かに含まれているようにそこにあり、これらのトラックをさらに精査し、作品に反映する作業をこれからしたいと思う。
加えて、この作品を作品として表出たらしめるのは福島さんの頭脳であり、僕は作品成立の為の動機付けと、思想を「言葉」で福島さんに伝えるという役割に過ぎない。(素材としての音源は演奏しているにせよ)
「埋没する3つのbluesに捧げるコンデンス・ミュージック」について、少し書いておこうと思う。
濱地潤一