hamaji junichi

composer saxophonist

トリオ・ベルガルモ「ラフマニノフ ピアノ三重奏曲 第2番」

10月。新潟での福島諭・濱地潤一作曲作品「変容の対象」2011年度版の初演を終え、作品を発表した作曲家、演奏家があつまり、その後打ち上げが催される会場に福島さんと向かった。新潟の夜。繁華街の喧騒を縫うように足早に向かいながら、見知らぬ土地の上気した群集とはある種の乖離した気配を背中に感じながら、だから視線は、その人々を端に追いやり歩いた。もともとこういった催しは得意ではない。それはもしかしたら他の作曲家の方々、演奏家の方々も同じかもしれない。けれどそこに集まり、某かの交流に意味を持たせる。生きるものの知恵でもあり、作曲家、演奏家という特殊な背景をもつ人種であっても生きている限り否応無く生活者であり、共有する社会性機能のもとにある。作品を離れれば。

 宴も落ち着き、ようやく(席の配置が作曲家、演奏家で見事に分断されていたため)初演の演奏をしていただいたピアニストの石井朋子さんと話す。(クラリネットの広瀬寿美さんは早めに帰途につかれ、会場には来られていなかった)福島さんを交え、作品のこと、作曲のこと、演奏のこと様々な会話が為された。作品を介して人と人の間に当然あるはずの「最初の」厚い距離感が無くなり打ち解けるのは不思議な気がいつもする。

 どういったいきさつか、ある時石井さんが「私は演奏家として、作曲家の作品に可能な限り、寄り添うように、、、側に居たいのです」(正確に一字一句正しいかは記憶が曖昧なのだが、こういった内容だったと記憶している)と福島さんに話しているのを傍らで聞き、「ああ、、、」と。「深淵を知る人はこんなにも美しい「言葉」を知っている、、、」と。


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 その時話題にのぼったのがトリオ・ベルガルモのCD「ラフマニノフ ピアノ三重奏曲 第2番 ニ短調 作品9」 (悲しみの三重奏)で、私が和歌山に帰ってから石井さんが送ってくれたものだ。

 CDプレイヤーのトレーにその作品を初めて乗せ、音が始まった刹那「これは凄い、、、」と思わず口をついた言葉がもう、全てを言い表しているような気がしているが、その後、今、今日に至るまでこの作品を聴き、これだけを聴き続けていても、この作品の完璧さを言い表す言葉を持てないでいる。名状し難いものに対して言葉は何の形象も与えられない。それこそが「音楽」というものなのかもしれない。


 「私は演奏家として、作曲家の作品に可能な限り、寄り添うように、、、側に居たいのです」
 
 その時私は凛とした演奏家の光暈を見た。



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トリオ・ベルガルモ

ヴァイオリン:庄司愛
チェロ:渋谷陽子
ピアノ:石井朋子

http://www.bellegarmo.com/


ラフマニノフピアノ三重奏曲 第2番 ニ短調 作品9番 (悲しみの三重奏)

ラフマニノフピアノ三重奏曲 第2番 ニ短調 作品9番 (悲しみの三重奏)