hamaji junichi

composer saxophonist

無縁

昨日テレビを見ていると「無縁死」という言葉が。
今まで知らなかったが、都会で無縁、つまり完全に孤立して死んでいくことらしい。
孤立、、、様々な要因が個人個人であるだろうが、本来機能していた地縁、血縁も崩壊しているのだと言う。
そうして、浴びるほどの孤立感を持って生きている人々が潜在してくらしていて、そのやわらかい恐怖におびえながら、しかし一方では都会の自由、地縁によるわずらわしさのない自由のなかで、それも心地よく思うこともあると語っていた。そういった背景だろう、話相手のビジネスが盛況だという。ただ話しを聞いて欲しい。その時間をお金で買う。あるひとはtwitterでようやく人とのつながりを得ている。

そんな番組を見ながら、カップラーメンをすすっていると死にたくなるな、、、と思いながら、安部公房の「箱男」を思い出す。

真理は我々に自由をもたらす。そう神に言われたところでtwitterにすがるしかない者は救われるか。

バロウズの「言語はウィルスである」という発言。今猛烈な勢いで流通するtwitterというシステムは感染という言葉がイメージとしてかさなる。

twitterがどこかでようやく生の存続をささえているのだとしたら、それは、、、是だ。

社会構造自体の重層。

個人はその層のどこにいるかでその使用の意味も変わる。

しかしそもそも人は一人で死んでいくもので、孤立して死ぬ恐怖は今生きているものだけの恐怖に過ぎない。

哲学が何故必要か。






久しぶりに人と話すと、怒涛のごとくしゃべりまくり、自分が今如何に哀れかを切々と吐露することを恥もなく続けるのはまさしく自分ではないか。