hamaji junichi

composer saxophonist

岐阜一日目 電子音響音楽祭

《変容の対象》2015・9月第2−3小節目を福島諭さんから受け取る。


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9月12日。早朝。和歌山を出る。岐阜へ。2時間あまりの新大阪まで煙草が吸えない。相変わらず不満だ。枯渇感を誘発する嗜好品を愛飲する客の存在をわかっていながら、いったいどうしてこうまで無視できるのか理解に苦しむ。新幹線はそういった意味でまだ喫煙ルームがあり、客への配慮がある。おそろしく窮屈な場所ではあるが。密閉された空間での2時間の枯渇感は苦痛だということはわかっているはずだ。故意にばかにされているのか、あるいは馬鹿なのか。そのどちらかだ。

西岐阜に着く。駅の周辺には何もない。この前来た時この駅だった。その時は映像作家の池田泰教さん音響作家のウエヤマトモコさんに迎えに来てもらったことを思い出した。サラマンカホールまではバスでも行けるが面倒なのでタクシーに乗り向かった。あまり寝ていないから、この時点で疲労感はんぱではない。歳はくいたくはないものだ。空は見事に青い。つきぬける蒼天に感傷的にもなりそう、、、といったことは私にでもあるようだ。

ホールに着く。福島さんに途中メールを入れるが返信がない。携帯の充電アダプターを忘れたと連絡をもらっていたからもう携帯は死んでいるのだろう。リハーサルまでの1時間ばかり近くのカフェで時間を潰す。アイスコーヒーを飲みながら「ゴルゴ13」を読んでいると瞬く間に時間になっていた。さいとうたかをは和歌山の人だ。たしか。

ホール入り口で奏者の皆と会う。人見知りが出てうまく話す事もできない。もう結構な回数会ったことのある人たちなんだが日によってそういう心象がでる。寝不足というのもあるのだろう。ほどなく福島さんも合流。写真を皆で撮る。



リハーサルは一度通すだけに終わった。もう少し時間があればと思ったが仕方がない。リハの入れ替わりで、ソプラノのさかいれいしうさんがいらっしゃって声をかけていただいた。随分前だが名古屋芸文でも拝見したり、ウエヤマトモコさんの音楽作品でえらく感動したり、また最近ではフォルマント兄弟の作品、ペルゴレージのスターバトマーテル「悲しみの聖母」の映像記録を前田真二郎さんのスタジオで拝見してその歌声に切実に感動したものだから、ほんの少しの時間だったけれどお話できて良かった。今日はそのペルゴレージも実際にホールで聴ける。


出演者控え室で福島さんと少し話し、飛くん(飛谷謙介氏)とも会う。今日はステマネをするらしい。高もんの赤のnew balanceを履いていた。なるほど、、、黒のジャケットに黒のアンクルカットのパンツに赤のnew balance


ホールゲネプロでは鈴木悦久さんがPAを担当していて、飛くんが仕切り、福島さんが作曲家としてステージに居てmimiZのメンバー全員がはからずも顔をそろえていた。なんかええなと思った。コピュータプロセッシングのスピーカーへの反映がうまくセッティング出来ていないのを飛くんがうまくさばいてくれて少し時間はかかったけれどゲネも終える。飛くん居なかったらえらいことになっていたと思う。


本番。《春、十五葉》は1−5−9という3つのスコアがあり、それぞれ単音のロングトーンの循環呼吸奏法の指示がある。一瞬リードミスがまじり、心のなかで「ふざけんなこの野郎」と自身に悪態を吐いた。自身に吐いたものではあるけれど誰に吐いているのかわからないあの衝動というのはあれはなんなのだろう、、、と思う。そういうわけで新潟での初演の時の循環呼吸法のレベルは維持したかったけれど出来なかった。そこはほんとうに心残りだったけれど、作曲家の福島さんの発表後の表情は明るく、奏者としてはひとまずほっとしたのだった。そもそも作曲家はひとつの奏法に還元して作品を評するはずがない。



演奏が終わり、奏者の皆さんとお別れし会場に入った。フォルマント兄弟のペルゴレージをついに聴き、三輪眞弘さんの独唱曲「訪れよ、わが友よ」&「新しい時代」を聴く。れいしうさんの声、歌唱法、その姿と作品が融けて、、、とにかく凄いものを聴いた気がした。



終演後、福島さん、池田さん、ウエヤマさん飛くんと打ち上げをする。まったくえげつない人たちだよ。おそろしい領域を見ておるよ。

ひとしきり飛くんと福島さんとで現在着想中のこの三人でやるギター作品について池田さん、ウエヤマさんに話す。

車でそれぞれ送ってもらい解散。



明日から前田真二郎さんとプロダション。