hamaji junichi

composer saxophonist

sonny rollinsのスキンヘッドがやたらかっこ良いので’65のライブ映像を凝視していた。

ロリンズと言えば名盤「bridge」あれが62年だ。

jim hall


録音で言えば50年代、60年代のjazzアルバム、つまりアコースティックジャズしかなかった時代のサウンドにつきる。マイルスの至高の、究極のアコースティックジャズ・クインテットアルバム4枚でとどめを自ら刺して以降のアコースティックジャズは録音でも死んでいる。少なくともある一時代は。あのベースの音を聴いただけで萎えてしまうのはいつも残念に思う。サックスにはネックに穴を開けマイクを刺してアンプリファイドする気違いじみた愚行がまかり通っていた。90年代になって以降、ロックというものを意識しなくなった録音は優れたものも多く迷走は止んだように聴こえるのはあながち自分の思い込みではないように思う。とか思いながらロリンズのスキンヘッドの勇姿を見ていたと書きながら考えてそれを書いている事実。つまりそんなこと思いながら聴いていたわけではなく、聴きながら、聴くという行為を書くという行為に変換する時点で意識がそっちに飛んだというだけの話でありまったくとりとめもないがまあ、かっこええのな。ロリンズ。

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cromaというサクソフォンソロの譜面を清書しはじめて、作曲の一番最初の組織の組み方の骨子を思い出していた。ブロック形式と呼んでいる作品で複数の個別のブロックがならんでいてそれを演奏時はある法則に基づいて、あるいは任意に組み替えて演奏するものなのだが、時間の空白(演奏しない時期)が長くなればその不確定な領域(任意の組み替え)を極端に整理して考えるようになってしまっていることに今日気付いた。もっと複雑だったものが整理されてしまう。これが良い場合もあるだろうけれど、今回は違う。当初の思考方式に立ち返って組織を譜面に改めて定着させなければならない。現象を含めた事物は不安定から安定に必ず向かうけれどそれが誤謬である場合だってあるだろう。