hamaji junichi

composer saxophonist

2重総体

「録音された様式としての即興という概念が交換されうる対象としての機能」についてのノート


福島諭さんとともに試みた上記作品の「概念化」の側面を改めて文章化する為に昨日はそのノートを書いていた。大枠は書いて今日は細部の意識が言語化される現象をもう一度反芻し、その現象が音として具現化された痕跡を留めたい。この文章は具現化された音の背後あるいは底流に同時に走っている意識の総体を指し示すもので、2重構造(正確には複数の層なのだが)のヴィジョンの層を可視化する機能を持たせたいと考えている。

以下は先日別件で必要があって、ピアニストの石井朋子さんと福島さんにあてたメールの一節であるが、ある種の雰囲気は留めているので、ここに転載したい。お二人には了解を得てないが、自分の書いたものだから問題は無かろう。
(ちなみに今は福島さんから返ってきた同作品のもうひとつのヴィジョン、具現化された音をヘッドフォンで大音量で聴きながらチェックしている。夜中2時)



最近は福島さんと「録音された様式としての即興という概念が交換されうる対象としての機能」という「即興」という演奏様式を媒体にして組成される、譜面には定着出来ない領域の作品をひとつの試みとしてやってみました。(ブログにもそのことを遠巻きに少し書いています)着想としてはポストモダン文学からの影響、同時に演奏行為、音楽組成の文脈、構造化の文脈、それらの意識(演奏時、演奏前、演奏後)へのフィードバックなど、自分のなかでは複数の根拠があってやっていますが、これもひとつの音楽的思想への希求が大きくはたらいていて、一番の大きな問題意識はその「思想」ということになります。とはいえ、そこに表出される「音」「音楽」も当然「そういうもの」を留めておかなければならないわけですが、先日福島さんから出来上がった作品の音源を送ってもらったのですが、それは充分満足できるものでした。(中略)そして作品について、ひとつ付け加えるなら、その行為は譜面に向かう意識と驚く程親近性があるのです。譜面には書けないものなのに。


black out