hamaji junichi

composer saxophonist

付記

今回の上京中、映画「スカイ・クロラ」を観に行った。2回目です。一回観ただけでは見落としていたディテイル部がそこかしこで散見され、物語における芳醇な土壌がさらに浮き上がり函南の最後のシーンでは琴線に触れて震えがきたのだった。上映が終わり、ああ、良かった。もう一度観ようと、、、そそくさと会場を出ようとするとなにやら大勢の一団が入場してくる。シネマコンプレックスだったので、何?完全入れ替えでは?と頭をよぎりながら出ようとすると「これから押井監督のトークショーがあるので良かったら見て帰ってください」と言われる。で、急いでもとの席に帰る。平日の夕刻の上映で満員とは、、、流石東京だな、、、とか思っていたのだが、何も告知してなかったようだが、、、とか思いながら、興味深さ炸裂しまくりの押井監督の話を聞けた。そこに低通している創り手の視点の様々な角度、「スカイ・クロラ」で言えば時間軸、上空の時間の進行速度と、地上の時間の進行速度の意図的な変化や、「イノセンス」におけるダンテの「神曲」の引用と、縦につまれた物語の構造の表出としてのゴシック建築の話など、もう上映されて暫く経過した故の深い話が聞けて、これで1200円!!!とは。なんと豪華な時間だ!!!と。生の押井監督を見れるのは何か不思議な感じがした。大好きな監督だが、本来そういった偶像には興味がまったくなく作品が全てで、作品に触れる日を心待ちにはしているが、本人を追いかけるなど自分の頭にまったくないので、不意に訪れた幸運(そうは言っても幸運には違いない)を牧野さん夫婦に興奮ぎみに話したのは自分でもやはり、相当喜んでいたのだろう。何に興奮していたのかと言えばディテイルの集積とその視点の介在の輝くばかりの強度なのだ。輝くばかりの眩い強度が監督の口から矢継ぎ早に語られる光景は圧巻でした。昇天。







「nodal point/modal point」の作曲と即興との関係、コンピューターという極めて現代的な「楽器」(それは今の瞬間にも更新を繰り返している)とサックスという木管楽器としては歴史は比較的新しいにしてもその出自は相当な歴史と伝統の継承を内包している「楽器」との幸福なアンサンブルは?を考察するうえで今回の経験は全て何某かのトリガーになるという感じがしています。
その演奏者がいてはじめて機能する作曲作品というコンセプトも実は非常に自分にとって重要な「視点」のひとつであるのです。