hamaji junichi

composer saxophonist

いったい、自分は「自分自身を喜ばすこと」を、やってきただろうか、、、と不意に思う。音楽の話は置いておいて、生活者としての、、、と考えてみれば、(自分なりの)気の利いた服を着るというのが最大の関心事であって、車とか、、、自分は運転はするが生まれてこのかた車を所有した事が無い。経済的にも無理であるし、何に乗りたいとかそういった欲求も多分ない、、、ふと、冷静になって自分のまわりの人たちをみると、随分立派に生活されている。何気なく良い車なんかにも乗っている人たちも少しは居る。そりゃそうだ、もう皆よい大人なのだ。そういった意味では選ばれし民では自分はなかったのだろうが、芸術という魔に見入られて頭がぶっ飛んでいようが、輝ける生活者であってはならないというわけではあるまい。どこで間違ったか、それはひとえに生活者としての未来を見据える才が無かったとしか言いようがないが、若かりし自身に「真面目にやれ」と言ってみたくもなる。今さらながら残念な自身を哀れむが、もう遅いのである。もし、自分に生活者として「自分自身を喜ばすこと」に明確な意識があれば随分違ったのではないか、、、とも思うが、いやいや、そう簡単ではないよ、とも思う。なんにしろ才は必要なのだ。にこやかに月日を楽しみ生活するにはもう、、、随分遠いところにきてしまったようだ。アーメン。




と、たいして切実なことではないことを書き、届いた10冊ほどの小説などを確認する。こっちのほうがよっぽど切実である。ヘッセの新潮文庫の買い残したもの数冊。佐藤春夫「田園の憂鬱」小川洋子の新刊単行本。あと、欲しくてたまらなかった画集を1冊。ようやく買えた。またここに書く事もあろう。佐藤春夫のはもう一度読まなくてはいけないような気がして、多分もう随分前に読むか読む途中でよしてしまったかもう記憶も確かではないのだが、和歌山がうんだ天才のものとして、また、題名が今まさに刺さってくるので購入した。「惜しみなく愛は奪う」に匹敵する題名。

ヘッセ「知と愛」を読み始める。冒頭から良い。良すぎるぐらい良い。何もまだ起こっていないのに良いのは凄いことである。