hamaji junichi

composer saxophonist

book of days!

福島さん、新曲のプログラムを構築中

しばしお茶を飲みつつ、時間となったのでbook of daysさんへ。
オーナーの帰山さんとご挨拶。
PAをしていただく、笠原円秀さんも到着され会場のセッティング。
新曲のリハをし、模倣対位法に近いシステムがはしるのを確認。この時点で少し安堵し、福島さんもうなずく。この曲は全音階をもとに6つの音だけで組織された音形のヴァリーエーションがうつろうもので、サックスとコンピューターのための室内楽として、そこのところの視点はうまく反映されているように感じた。後日その録音を聴いたが、演奏における問題は山積してはいるが洗練に向かう萌芽は確かに感じられた。

共演の田口雅之さんも到着。リハを終え、本番。

まずは自分と福島さんによるインプロヴィゼーションの演奏。ここでの焦点も先のスタジオと同じく、再現性への着眼と、引用ということになる。演奏が終わりトークの時間。このイベントの肝は演奏の領域にせまるトークの存在と言える。もちろん演奏者も例外ではなく、その発せられる言葉によって影響を受けるしかけだ。今やったことを記憶する。その記憶の作用が明確に自覚できること。サックスの特殊技法の説明などしながらそう感じた。続いて新曲の演奏。

演奏後のこの曲のコンセプトを語りながら、田口さんも加わりそのまま田口さんのセットに。

田口さんによると全ての音は電子音を一から生成しているとのこと。アリモノはまったく使っていないとのことで、驚く。演奏を拝聴して、音のダイナミズムについてどうお考えか、素直に聞いてみた。楽器を操るものからの素朴な質問だったが、そのダイナミズムという得体の知れないものの領域が実は強力に聴取に作用する実感があってのことで、これはその場で不意に想起された視点であり、その意味でもこのイベントの効果が表出された。福島さん。恐るべしである。

つづいて福島、濱地の「nodal point/modal point」の演奏。つい先ほどの音のダイナミズムについての質問の余韻が残っている中の演奏で、そのダイナミズムをサックスで表出しようとした意識がフラッシュバックされた演奏となった。先の円盤さんでの初演と比べて焦点の結実の部分が多く見られたことは喜ばしい。当たり前と言えば当たり前だが実際に「会って、会話する」ことがどれほど作品の洗練に繋がるかを指し示している。それと、トーナリティーの明確な作曲がどれほどの力を持つか、ということも。この曲は福島さんとの共作の第一作であるが、B♭マイナーという調性にガチガチに縛られた作品で、その作曲の最初の意図として、コンピューターが介入する作品であるから、あえて抽象的な、または無調の音組織を使わないというものが明確にあって、調性感という鉄壁の構造にコンピューターが介入することで新たな聴取感がうまれるであろうという考えのもと作曲した。

演奏が終わり、気付いてみると、book of daysさんの店の前のガラス越しに通りすがりであろう若い3人の女性の方が、会場にお越しのお客様とともに長らく拍手してくださっていた。

会場に来て頂いたお客様ありがとうございました。

心より感謝の意を。

濱地潤一




追記。ここのところ猛烈にタイトな時間に拘束されているので書きたいことのほんの一部しか書けていない。新潟での演奏と福島さんとの対話のなかで自分は何を見ただろうか。福島さんの文章(mimizのwebです。http://mimiz.org/index.php)からその一部が僅かながら浮かび上がってきたものもあれば、明確に「見えた」ものもあった。

福島さんが文中書かれている(「即興と作曲における到達点とその差異」や「作曲における引用の態度(メタ構造)」などが気になってしょうがない)ここのところは、はっきりと認識し、作曲、演奏にまで態度として表出可能な領域と、自らの論理めいたものまでにとどまっている領域が奇妙に交錯する感じが無くもない。コントロールされた「混沌」(ここはいくらでも深読みが可能だ)と一見シンプルなものの中に内包される複雑極まりない思考の痕跡と細部の構築の重力は自分にとって同じか、または決定的に違うか、「引用」と言う言葉から想起される人それぞれのイメージと、自分にとっての「引用」はどう違うか。(例えば、今自分がやったことを引用すると明確に思うかどうか、それは作曲という行為においても)「即興」と言う言葉から想起される人それぞれのイメージと自分にとっての「即興」はどう違うか。対話から幸運にも(この要素は確かにある。幸運にもその時間をもちうるかどうか、、、これはそれこそ神のみぞ知る領域かもしれない)その時間を得、その一部でも共有することが可能であれば、その時間は計り知れない価値となる。無論演奏でそれが表出することがその裏付けとなり、さらに強度を増すことにも繋がろう。連綿と流れ続けている英知の集積である譜面や論理、理論の参照と構造に教えを受けることは益々自分の中で重要になってきているし、その音楽的情報の交換の手段としての譜面は福島、濱地にとってはなくてはならないものになっている。再現性の担保、構造の構築、サックスというシステム、コンピューターというシステムが調和を目指すために、それらは必要だし、根拠無くして一歩も踏み出しえない。


田口さんは以前現代音楽の作品を発表されていたと、帰りの車中で聞いた。興味をもつ。人の背景は広大である。円秀さんはドローンに夢中であるそうだ。奥様の「同じ人を時間を置いて継続して見、聴くのは面白いと思う」と言う言葉に一同うなる。写真は打ち上げ。田口さん、福島さん、円秀さん夫妻と